インタビュー Vol.116

YUKO SUMIDA JACKSON SPECIAL INTERVIEW — PART 2
マイケルが教えてくれた愛、
そして未来へ

ユーコ・スミダ・ジャクソン

 

 

 

PART 2|6つの見どころ
01|マイケルが教えてくれた愛と、その陰にあった苦悩
02|最愛の夫、ジョージ ── 運命の出会いと永遠の愛
03|映画『Michael』 ── 輝きの裏側を知るユーコの想い
04|世界の舞台で磨かれた表現力 ── マイケルからの忘れられない言葉
05|ダンスから美容へ ── 人生を貫く信念と新たな挑戦
06|もう一度会えるなら ── マイケルとジョージへ贈る言葉

 

マイケルが教えてくれた、人と人との向き合い方
── マイケルとのお仕事は、ユーコさんの人生にどのような影響を与えたのでしょうか。

そうですね。プリンスやジェームス・ブラウン、ベイビーフェイスなど、本当にさまざまな素晴らしいアーティストの方々とお仕事をさせていただきました。
もちろん、それぞれに素晴らしい経験があり、比べることはできません。でも、やはりマイケルと一緒にお仕事をしたことは、私の人生のさまざまな場面で、とても大きな意味を持っていたと思います。
 

── マイケルと出会う前と後で、特に変わったことは何でしょうか。

人と人との向き合い方ですね。
大勢の人に対しても、一人ひとりに対しても、マイケルは人との関わり方の素晴らしさを、身をもって見せてくれたんです。
例えば、ある大きなスタジアムでは、約14万人もの観客が集まっていました。もちろん、すべての観客がマイケルの表情まで見える距離にいるわけではありません。
それでも、マイケルのエネルギーは会場全体に伝わっていくんです。マイケルと観客の間で交わされるエネルギー、その一体感は本当に素晴らしいものでした。
そして、リハーサルでのマイケルの姿勢も忘れられません。
彼は私たちダンサー一人ひとりに、自分の言葉でリクエストを伝えてくれました。
私たちは、マイケルが求めるものに対して、できる限り最高のパフォーマンスで応えたいと思うんです。
「今日はマイケルもリハーサルに来るよ!」
そう聞いただけで、ダンサー全員のモチベーションがまったく違いました。
例えば、一人ひとりが持っている力を100としたら、マイケルと一緒にいることで、500まで出したくなる。そんな気持ちにさせてくれる存在だったんです。
その力の源は何だったのかと考えると、私は、マイケルの愛だったと思うんです。
もちろん、リハーサルがうまくいかないこともありました。でも、マイケルが怒鳴るようなことは一切ありませんでした。
本当に愛の塊のような人でしたから。
むしろ、マイケルが悲しそうな表情をしていると、それを見る私たちの方がつらくなるんです。
「どう踊れば、マイケルが喜んでくれるだろう」
自然と、そんなふうに考えるようになるんですね。
誰かを力で動かすのではなく、その人の存在そのものが、周りの人たちから最高の力を引き出していく。
私はマイケルを通して、人と人との関わり方の素晴らしい姿を見せてもらったと思っています。
ツアーが始まったのは、私が24歳のときでした。
その時期に、あれほど素晴らしい人間性に触れ、貴重な経験をさせていただけたことは、今でも私の心に深く残っています。
 

 

愛だけでは生きていけない ── マイケルの苦悩

私自身も、人間関係で悩むことはありました。でも、そうしたことを乗り越えてこられたのも、マイケルから身をもって感じた愛が、私の中にあったからだと思います。
ただ、残念ながら、この世の中は愛だけでは生きていけないという現実もあります。
マイケルは、さまざまな噂やメディアの報道によって、とても苦しんでいました。
そんな彼の姿を見るのは本当につらかったですし、かわいそうだと思っても、私にはどうしてあげることもできませんでした。
そのことが、今でも心に残っています。
 

人生の転機を越えて ── ダンスから生まれた新たな使命
── ダンサーとしての表現活動に一区切りをつけられたあと、新たな道へ進まれたのですね。

はい。主人が突然亡くなったときには、すでにダンサーとしてのキャリアには一区切りをつけていました。
その後、ダンスカンパニーで最後の舞台に立つ機会がありました。マイケルをはじめ、すでに亡くなった大切な人たちも心の中で見守ってくれているように感じて、「私はここで終わりにしよう」と思ったんです。
当時、娘はまだ1歳くらいでしたので、これからは自分一人で育てていかなければならないという思いもありました。
そんな中、ニューヨークで2001年9月11日の同時多発テロを目の当たりにしました。
ビルが崩れ落ちていく光景は、今でも忘れられません。
当時、娘はその近くの幼稚園に通っていて、私は現在の仕事にもつながるエステティックの学校で勉強をしていました。
あの日、マイケルもニューヨークにいたと聞いています。
あまりにも大きな衝撃でしたし、何より娘を守らなければという思いが強くなり、ニューヨークを離れてロサンゼルスに戻ることにしました。
その頃、空港で偶然、劇団四季の浅利慶太先生にお会いしたことがありました。
先生から、
「僕は死ぬ前に、もう一度スミダのダンスが見たいんだよ」
と言っていただいたんです。
でも私は、
「先生、今は子どももいますし、ダンスはやめているんです。ただ、私が劇団員の皆さんに何かできるとしたら、身体の使い方やコンディショニングをお伝えすることだと思います」
とお話ししました。
私自身、ダンサー時代は常に怪我との戦いでしたから、身体をどう使い、どう整えていくかということの大切さを、身をもって感じていたんです。
そこから生まれたのが、現在まで続いているボディコンディショニング・メソッド「アウェークニング」です。
ワークショップやレッスンを重ね、2005年からは劇団四季の劇団員の皆さんにアウェークニングを指導するプログラムが始まり、約20年間続きました。
スタジオの運営と指導を続けながら、関連書籍も7冊出版しています。
また、娘には日本の文化を学んでほしいという思いがあり、アメリカではなく日本で育てることを決め、帰国しました。
 

── そして現在は、美容分野でも新たな活動を展開されていますね。

はい。2013年、肌の変化が気になり、フォトフェイシャルを受けたところ、火傷をしてしまったんです。
その後、偶然のご縁から、ある美容テクノロジーの存在を知りました。
とても興味を持ち、開発者に直接会うためにロンドンまで足を運んだんです。
その技術の権利を取得するまでには、2013年から約5年かかりました。
それが、現在取り組んでいる「セルラム」です。
私は、このテクノロジーに大きな可能性を感じています。
日本を拠点に、世界へ広げていくこと。それが今、私が力を注いでいる活動なんです。
 

最愛の夫、ジョージ ── 人生を彩った深い愛
── 最愛のご主人であり、モータウン・レコード(MOTOWN RECORDS)のCEOを務められたジョージ・ジャクソンさんは、どのような方だったのでしょうか。

ジョージとは、1991年、マイケルのツアーに参加する前に、ロサンゼルスで知人の紹介を通じて出会いました。
その後も友人として、ときどきお会いしていたんです。
彼はもともと映画プロデューサーで、映画の仕事をする前にはクインシー・ジョーンズのアシスタントを務めるなど、音楽の世界にも深く関わっていました。
どうやら、彼は私のことがずっと大好きだったみたいで(笑)
出会ってから6年ほど経った頃、偶然再会したんです。そのとき、私自身もジョージに不思議なくらい強い運命を感じました。
そして、再会からわずか1週間後にプロポーズされ、その1か月後には、お忍びでハワイへ行って結婚しました。
その後、ニューヨークで皆さんをお招きして結婚式を挙げました。
娘の名前を「コナ」と名づけたのも、私たちの結婚にまつわる大切な場所にちなんでいるんです。
本当に大恋愛でしたね。でも、出会ってからは6年という時間が流れていたんです。

※クインシー・ジョーンズも結婚式に出席。その様子はユーコさんの自伝『JACKSON』にも写真とともに紹介されている。
 

ユーコ・スミダ・ジャクソン著『JACKSON』(2011年、PHP研究所刊)。マイケル・ジャクソンとの出会いや世界ツアーの舞台裏、最愛の夫ジョージ・ジャクソンとの愛の日々など、かけがえのない人生の軌跡を綴った自伝。

 

── ジョージさんは、音楽業界でも大きな責任を担っていらしたのですね。

そうなんです。
結婚した頃、モータウンは経営的に大変な時期を迎えていました。
当時の会長から「今のモータウンを立て直せるのはジョージしかいない」と強く請われて、CEOを引き受けることになったんです。
それを機に、私たちもロサンゼルスからニューヨークへ引っ越しました。
経営の立て直しに取り組むジョージにとって、本当に大変な日々だったと思います。
でも、彼は最高のビジネスマンであると同時に、マイケルと同じくらい、愛がすべてという人でした。
そして、私の人生で出会った最高のパートナーでもありました。
マイケルとジョージ。
私は、この二人の素晴らしい人と出会い、かけがえのない時間を過ごすことができたんです。
その思いを記録として残したのが、2011年に出版した自伝『JACKSON』です。
今も私の正式な名前には「Jackson」が残っています。
そして今でも、「ジョージの奥さん」と呼ばれると、とてもうれしいんです。
 

 

── ジョージさんは、多くの方々に愛されていたのですね。

本当にそう思います。
ジョージが亡くなったあと、クインシー・ジョーンズから、さまざまな方々の愛の言葉が綴られたものを送っていただいたんです。
とてもうれしかったですね。
その後、クインシーが来日した際には、直接お礼を伝えることもできました。
ジョージは、本当にたくさんの人たちに愛されていたんだなと、改めて感じました。
 

── ジョージさんとの最後の時間についても、お聞かせいただけますか。

ジョージが亡くなったのは、2000年2月10日。42歳でした。
脳溢血で、あまりにも突然のことでした。
私は約1週間、ICUのベッドのそばで付き添っていました。
その間、ジョージが2回だけ、私のことをギュッと抱きしめてくれたんです。
でも、そのたびに脳の状態を示す数値が上がってしまうようで、すぐに看護師さんが来て処置をするんです。
それを見るのが、本当につらかったですね。
娘のコナには、生きているパパとの思い出がありません。
そのことを思うと、今でも胸が痛みます。
 

映画『Michael』への想い ── 輝きの陰で見つめた素顔
── 映画『Michael』はご覧になりましたか。

『THIS IS IT』のときもそうだったのですが、今回も「観ようか、どうしようかな……」と、少し迷っていたんです。
 

── えっ! 観ないという選択肢もあったのですね。

そうなんです。でも、友人が「ユーコ、これはセレブレーションだよ!」と言ってくれたので、一度は観てみようと思いました。
マイケルはもう、あの苦しみの中にはいないでしょうし、映画は確かに彼を祝福する作品だったので、観てよかったと思いました。ジャファーの演技も素晴らしかったです。
ただ、私には少し複雑な思いもありました。
もちろん、映画を否定的に捉えたいわけではありません。今回初めてマイケルを知る方も大勢いらっしゃるでしょうし、子どもたちまで夢中にさせてしまうような不思議な魅力を、マイケルは昔から持っていました。
亡くなって17年が経っても、こうして世界中の人々から愛され続けていることは、本当に素晴らしいと思います。
でも、私はマイケルがどれほど苦しんでいたかを、間近で見てきました。
だからこそ、彼の歌やダンス、メッセージの素晴らしさだけでなく、マイケルが変えたいと願っていた世界についても、もう一度思い出してほしいと感じたんです。
こう言うと、映画を祝福していないように受け取られるかもしれませんが、決してそうではありません。
私には、今でも忘れられない光景があります。
マイケルのツアーで、結局キャンセルになってしまった公演がありました。
会場には大勢の観客が集まり、歓声が響き渡っていたのですが、いつものように出演者たちが円陣を組むこともなく、開演する気配がありませんでした。
そのとき、私はローブを着てステージ裏を歩いていたんです。
すると、マイケルがマネージャーやボディガードのビル・ブレイに囲まれて、こちらへ歩いてきました。
その顔は青白く、生気が感じられなくて……。
「あっ、これは無理だ」
そう思いました。
マイケルの表情からは、悔しさも、悲しさも、痛みも伝わってきました。
その姿が今も忘れられないんです。
だから、映画を観ていても、どうしても華やかな部分だけに気持ちを向けることができないんですね。
メディアの報道によって苦しんでいた彼の姿も、そばで見てきました。
もちろん、今、映画を観て「マイケルは素晴らしい!」と楽しんでくださっている皆さんに、わざわざお伝えする必要のないことなのかもしれません。
でも、彼の悲しみを知っている一人として、すべてを手放しで喜ぶことはできない。
それが、私の正直な気持ちなんです。
 

映画『マイケル・ジャクソン THIS IS IT』(2009年公開)。マイケル最後のコンサートに向けたリハーサルの姿を記録したドキュメンタリー作品。

 

映画『Michael/マイケル』(2026年公開)。マイケル・ジャクソンの人生と音楽、その知られざる素顔を描いた伝記映画。

 

マイケルへの敬意を胸に、受け継がれるスピリット
── 10月29日には、ブラジルからロドリゴ・ティーザーさんが来日され、公演が予定されていますね。

はい。ロドリゴさんから直接オファーをいただき、東京公演に参加させていただく予定です。
今年4月に静岡公演へご招待いただき、ステージを拝見したのですが、彼のスピリットが本当に素晴らしくて、とても感動しました。
マイケルへの深い敬意と愛情が、パフォーマンスから伝わってきたんです。
 

「もっとみんなの視線を奪って!」 ── マイケルからの忘れられない言葉
── マイケルから直接かけられた言葉で、特に印象に残っているものはありますか。

リハーサル中に、「ユーコ、もっとみんなの視線を思う存分ゲットして!」というようなことを言ってもらったことがあります。
今でもYouTubeなどで当時のリハーサル映像を見かけることがありますが、それを見るたびに「ああ、マイケルは私にもっと求めていたんだな」「あのとき、もっと理解できていたら……」と思うんです。
実は、私はもともとマイケルの熱狂的なファンというわけではなかったので、『The Way You Make Me Feel』も、それまで数えるほどしか見たことがありませんでした。
しかも、あのパフォーマンスは決まった振付がほとんどなく、アドリブで自分を表現しなければならなかったんです。
どうすれば自分らしく表現できるのか、本当に悩みましたね。
私は日本の文化の中で育ってきたので、相手を誘惑するような雰囲気を表現することが、あまり得意ではなかったんです(笑)
今振り返ると、マイケルは私の中に、まだ自分でも気づいていなかった表現の可能性を見てくれていたのかもしれません。
 

 

世界の舞台で出会った、表現の師たち
── ステージでの歩き方や、観客を惹きつける表現力は、どのように磨かれたのでしょうか。

ウィリー・ニンジャという、ヴォーギングの世界で知られる素晴らしいダンサーがいたんです。残念ながら、もう亡くなられましたが、私も彼から歩き方を教えていただいたことがあります。
また、ファッションデザイナーのティエリー・ミュグレーとの出会いも大きかったですね。
彼は「ユーコ、君は僕が一番好きなダンサーなんだ」と言ってくださって、ニューヨークやロサンゼルス、パリなど、さまざまな場所に呼んでくださいました。
映画『Paris Is Burning』のプレミアに関連したお仕事で、私がソロで踊る機会をいただいたこともありました。
そのとき、ウィリー・ニンジャが「ユーコ、歩き方のレッスンをしてあげるよ」と声をかけてくださったんです。
ダンスだけでなく、歩き方や立ち姿も含めて、自分をどう表現するのか。そうしたことを、素晴らしい方々との出会いから学ばせていただきました。

※ヴォーギング:ファッション誌『VOGUE』のモデルのポーズに着想を得た、手や腕の動きやポージングを特徴とするダンススタイル。

 

パリコレの舞台へ ── 今も続く表現への情熱
── 先日もパリコレに出演されたそうですね。

そうなんです。
MUNETAKA YOKOYAMAさんというデザイナーの方で、お父様がタキシードのデザインをされていたそうです。
西陣織など、日本の着物の素材を取り入れたオートクチュールを手がけていらっしゃるんです。
以前、私のお祝いのパーティーで、作品を2着着させていただいたことがあり、その頃から私自身も大ファンでした。
今回、そのファッションショーにお招きいただき、ドレスを着て参加させていただきました。
こうして今も、さまざまな形で表現の世界に関わることができるのは、本当にうれしいことですね。
 

熊本で育まれた、ジャンルを超えたダンスへの愛
── ユーコさんは幼い頃からクラシックバレエを習われていたそうですが、ジャズダンスを始められたのは東京へ出てからですか。

いいえ。母が熊本の九州バレエ学校へ連れて行ってくれたのが始まりですが、そこではクラシックバレエだけでなく、ジャズやファンク、モダンダンスなども習うことができたんです。
クラシックバレエを基礎にしながら、いろいろなジャンルを同時に学べたことは、とてもよかったと思います。
 

── その中で、特にお好きだったジャンルは何でしょうか。

全部好きでした(笑)
ただ、クラシックバレエについては、子ども心に「西洋のバレリーナのような美しいラインを、自分は表現できないかもしれない」と感じていたんです。
足の甲を手術したいと思ったことさえありましたし、体形を気にして、リンゴしか食べないような無理なダイエットをしたこともありました。
熊本は暑いので、外に出るとすぐ日焼けするんですね。私はもともと肌の色が濃いほうだったのですが、バレエ学校の校長先生から「それ以上日焼けしたらプリマになれないよ!」と注意されたこともありました。
母も肌の色が濃いほうだったので、母が使っていたウグイスのフンの粉を顔につけて、白く見せようとしたこともありましたね(笑)
山本寛斎さんのオーディションに応募したときの写真も、実は顔にベビーパウダーを塗って白くしていたんですよ(笑)
 

── そうだったんですね! 『Black or White』の映像では、肌が明るく見えますね。

あのときは、メイクで変えているんです。
日本では、昔から色白であることが美しさの基準のように考えられてきた部分がありますよね。
でも、私が現在取り組んでいる美容のテクノロジーでは、単に肌を白く見せるということではなく、肌のくすみや明るさ、さらに身体の内側にも目を向けることを大切にしています。
 

ダンスも美容も、すべては自分自身と向き合うこと
── 人生のさまざまな節目を経てこられたユーコさんですが、パフォーマーとして、そして現在の活動において、大切にされている信念を教えてください。

「どうして今、美容のお仕事をされているんですか?」と聞かれることがあるのですが、私の中では、すべてがつながっているんです。
ダンスは、身体を使って自分を表現するものですよね。
でも、そのためには、まず自分自身と向き合い、自分を知り、そして自分を受け入れることが、とても大切なんです。
私が取り組んできた「アウェークニング」も同じです。
アウェークニングには「覚醒」という意味がありますが、私たちはこの大きな空間の中で生かされている存在なんですね。
地球の核へと伸びる軸と、宇宙へと伸びる軸。その間に自分の身体があると感じて、あとはその流れに身を任せるんです。
そうすると、とても心地よい、自分自身と調和したような感覚に入っていくことができます。
そして、現在取り組んでいる「セルラム」を通じて学んだのは、私たちの身体には、自分自身を癒やそうとする力や、まだ知られていない可能性があるということです。
そうした未知の可能性に目を向けていくことが、とても大切だと思っています。
ダンスも、アウェークニングも、美容も、私にとっては決して別々のものではありません。
すべては、自分自身と向き合い、本来持っている可能性を引き出していくことにつながっているんです。
そして、マイケルの言葉を借りるならば、その根底にあるものは、やはり「愛」なのだと思います。
 

 

もう一度会えるなら ── マイケルとジョージへ贈る言葉
── もし今、マイケルが目の前に現れたら、何と声をかけたいですか。

まず、思いきりハグしたいですね。
そして、「私たちに、こんなにもたくさんの素晴らしいものを残してくれて、本当にありがとう」と伝えたいです。
『Dangerous』のツアーの頃、マイケルはいつもセキュリティの人たちに囲まれていました。
私は、そんな彼の姿を見ながら、ときどき孤独を感じることがあったんです。
あの頃は、マイケルが私たちとも少し距離を置いていた時期でした。
だからこそ、今になって思うのは、もっと彼と話をしておけば良かったということです。
ステージで自分が不安に感じていたことも、もっと素直に聞いておけば良かった。
でも、何よりも伝えたいのは、やはり感謝の気持ちですね。
 

── では、最愛のご主人、ジョージさんが今、目の前に現れたら、何と声をかけたいですか。

そうですね……。
「また、ここから一緒に行きましょう」って言いますね(笑)

編集後記|佐藤美枝子

今回のコンサート『Thank You MICHAEL JACKSON ~We All Love You~』を企画するにあたり、私の心に真っ先に浮かんだのが、ユーコ・スミダ・ジャクソンさんでした。
ユーコさんがいなければ、この公演は成立しない。そう思い、何よりも先にご連絡をさせていただきました。
世界中から集まった数百人のダンサーの中から、マイケルが選んだ日本人ダンサー、ユーコさん。しかも『Dangerous World Tour』では、唯一の女性ダンサーとして世界のステージに立たれました。
その奇跡のような出会いがあったからこそ、今、こうして私たちもユーコさんを通じて、マイケルの素顔や、彼が大切にしていた愛に触れることができるのだと思います。
マイケルには、感謝の気持ちしかありません。
そして、ユーコさんご自身も、まさに愛にあふれた方でした。
公演に向けた私からの細かなお願いにも、いつも快く、そして温かく応えてくださり、よりよいステージをつくるために、惜しみない愛情とお力を注いでくださいました。
今回のインタビューをお願いしたのは、ちょうどパリコレでのファッションショーを終えられたばかりの頃。
海外でのご活動のお疲れもあったはずですが、そんなことを少しも感じさせず、貴重なお話をたくさん聞かせてくださいました。
マイケルへの深い敬意、最愛のご主人ジョージさんへの変わらぬ愛、そして今も新しい世界に挑戦し続ける情熱。
お話を伺うほどに、ユーコさんの温かさと、その生き方の素晴らしさに心を打たれました。
ユーコさん、たくさんの愛を、本当にありがとうございます。
そしてマイケル。
あなたがつないでくれた、このかけがえのないご縁に、心から感謝しています。
Thank you, Michael, for bringing us together.
With all my love and gratitude.

 
インタビュアー 佐藤美枝子
撮影:間野真由美
取材協力:CELLULAM / SONIC MEDICAL SYSTEMS JAPAN OFFICE
許可なく転載・引用することを堅くお断りします。
小野田龍之介

ユーコ・スミダ・ジャクソン(Yuko Sumida Jackson)

ダンサー、モデル、起業家。
1985年、単身ニューヨークへ渡り、ダンスのキャリアをスタート。
日本人として唯一、また女性として初めてMichael JacksonのDangerous World Tourダンサーを務め American Music Award, Soul Train award 「Remember the time 」、Jackson Family Award, 「Black or White 」,「Ghost」などのPVにも出演。
Prince、Mick Jagger、James Brown、Paula Abdul、Babyfaceら世界的アーティストとも共演。
さらにThierry Muglerをはじめ、LA、NY、Parisのファッションシーンでモデルとして活動。帰国後は独自の身体表現メソッド「Awakening」を創出し、現在は自身の火傷の経験こら生み出した美容・ウェルネスと細胞活性化テクノロジーを融合したCELLULAMを開発、国内外にて展開中。
2026年9月にはParis fashion week にもモデルとして出演。
ダンス、ファッション、ウェルネス、テクノロジーを横断し、それぞれの持ち備えた細胞からの美や健康、また身体表現の可能性を追求している。


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