インタビュー Vol.115

YUKO SUMIDA JACKSON SPECIAL INTERVIEW — PART 1
夢を追いかけて、
マイケルと駆け抜けた日々

ユーコ・スミダ・ジャクソン

 

 

 

マイケル・ジャクソンの世界28カ国にわたる『デンジャラス・ツアー』で、バックダンサーとして選ばれた、ただ一人の女性ダンサー、ユーコ・スミダ・ジャクソンさん。
熊本からニューヨーク、そしてハリウッドへ。夢を追い続け、世界の舞台で活躍してきたユーコさんに、マイケルとの出会い、華やかなステージの舞台裏、そしてダンサーとしての人生の転機を振り返っていただきました。

 

Michael Jackson “Dangerous World Tour”

 

ダンスへの情熱を胸に、夢を追ってニューヨークへ
── ユーコさんがダンスの世界を志し、単身ニューヨークへ渡られるまでの道のりをお聞かせください。

私は熊本県の出身で、11歳からダンスを始めましたが、中学3年生で一度やめてしまったんです。でも、高校時代もずっと「やっぱりダンスがやりたい」という思いがありました。
そんなとき、山本寛斎さんが大きなファッションショーを開催することを知り、熊本からそのオーディションに応募したんです。まだ卒業前だったので、実は学校にはちょっと嘘をついて東京へオーディションを受けに行きました(笑)。そうしたら、合格したんですね。
そのステージを経験して、「やっぱり私はステージの上で何かを表現したい」と強く思い、この道に進むことを決めました。
高校卒業後すぐに上京し、本格的にダンスのレッスンを再開しました。そして、その1年後の1985年、単身ニューヨークへ渡ったんです。
当時のニューヨークは、まだ治安の悪い場所も多く、危険なこともありました。それでも私は、骨を埋めるくらいの覚悟で渡米したんです。今思えば、何も知らなかったからこそ、そんな決断ができたのかもしれません。
実際に行ってみると、ビザやグリーンカードの問題、英語力の壁など、生活すること自体が大変でした。でも、「言葉は勉強すればいいし、生活していけば何とかなるだろう」と思っていました。怖いもの知らずだったんですね。
もちろん、さまざまなカルチャーショックもありましたし、ダンスの実力についても、「自分ならできる」という気持ちと同時に、「まだまだ修行が必要だ」と感じる部分もあったので、4か月でいったん日本に帰国しました。
 

 

ハリウッドへの挑戦──世界の舞台へ
── 帰国後は、どのような活動をされていたのでしょうか。

帰国後は、劇団四季に所属するなど、日本でできるダンスの仕事に取り組んでいました。
当時の日本はバブル景気の真っただ中で、海外から来日したダンサーたちが、非常に高額なギャランティーで仕事をしていた時代でした。なかには、ダンサーではない方がダンスの仕事を得ることもあったんです。
そんな中、私にも「ユーコちゃん、外国人枠のオーディションがあるから行ってみなよ」と声をかけてくださる方がいて、実際に受けると合格することもありました。
それはとてもありがたいことでしたが、同時に、日本のダンス業界の現実を知ることにもなったんです。
「この環境の中で、自分が目指すダンサーになり、評価されていくことが本当にいいのだろうか」
そう疑問を感じるようになりました。
日本でさまざまな仕事を経験しながらも、アメリカで挑戦したいという気持ちは消えませんでした。
それまでにも、お金を貯めては何度かニューヨークへ渡っていたのですが、ニューヨーク出身のダンスの先生たちから、「ユーコ、これからダンスをやるならロサンゼルスだよ。ハリウッドを拠点にプロとして活躍できる仕事があるから、行ってみなさい」と勧められたんです。
そして23歳のとき、ロサンゼルスへ渡ることを決めました。
実は当時、膝に脱臼の不安を抱えていて、身体のコンディションは決して良い状態ではなかったんです。それでも幸いなことに、渡米後すぐにエージェントが決まりました。
ところが、アメリカへ行ったにもかかわらず、最初にいただいたのはイタリアのテレビ番組へのスペシャルゲスト出演のお仕事だったんです。
その後、アメリカに戻ると、今度はアカデミー賞やマイケルのお仕事へとつながっていきました。
本当にありがたいことに、そこから約6年間、ダンサーとして第一線で活動させていただきました。
 

 

マイケル・ジャクソンとの出会い──『Black or White』から世界へ
── マイケルとの最初のお仕事について、お聞かせください。

マイケルとの最初のお仕事は、1991年の『Black or White』でした。
そして、実際にお会いしてツアーに参加したのが1992年。1993年にツアーがキャンセルになるまでご一緒し、その後もテレビ出演やイベントなどでお仕事をさせていただきました。
私がツアーに参加したのは、マイケルが『Thriller』で世界的な成功を収め、スターとしての地位を確立していた時期でした。
ところが、その後、児童虐待疑惑が報じられ、整形についても揶揄するようなタブロイド記事が目につくようになり、ついにはツアーまでキャンセルになってしまったんです。
私はまさにその渦中にいました。
マイケルの素晴らしい才能や人間性に触れる一方で、ハリウッドの華やかな世界の裏側にある、悲しい現実も目の当たりにしました。
そうした経験が、自分自身のダンサーとしてのキャリアを見つめる視点にも影響するようになったんです。
 

「私にとって、ダンスとは何だろう」
── 世界の第一線で活躍される中で、ダンスへの思いにも変化があったのでしょうか。

そうですね。
幸運にも素晴らしいお仕事をたくさんいただき、パリコレクションをはじめとするファッションショーにも活動の場が広がっていきました。本当にありがたいことでした。
でも、その反面、自分の中でダンスへの情熱の炎が、どんどん小さくなっていくのを感じていたんです。
そして、ようやく気づいたんですね。
「私が本当にやりたい、目指しているダンスは、ハリウッドを中心としたダンスではないんだ」と。
私が本当に求めていたのは、ただかっこよく踊ることや、さまざまな感情を表現することだけではなく、もっと自分自身と向き合うことだったんです。
周りのダンサー仲間からは「ユーコ、なんで? もったいないよ!」「クレイジーだよ!」とまで言われましたが、私はダンスを始めた原点であるニューヨークへ戻ることにしました。
そこで再びレッスンに没頭し、ダンスの原点に立ち返ったんです。
ニューヨークに移ってからも、ロサンゼルスからお仕事をいただくことがあり、プリンスやジェームス・ブラウンとのお仕事、ベイビーフェイスのツアーなどにも参加しました。
 

 

「マイケルに始まって、マイケルで終わった」
── その後、再びマイケルとのお仕事があったのですね。

はい。ハリウッドでの最後の大きなお仕事となったのが、マイケル・ジャクソンのショートフィルム『GHOSTS』でした。
ニューヨークにいた私に、プロダクションから「ユーコ、大きなプロジェクトがあるので、ぜひロサンゼルスに戻ってきてほしい」と連絡があり、撮影に参加することになったんです。
撮影は延長もあり、約1か月半に及びました。
その仕事を終えたとき、自分の中で「本当にやりたい仕事はやり尽くした」という気持ちになりました。
もちろん、ダンサーとして自分が目指すレベルに到達したわけではありません。むしろ、一生かけても到達できないかもしれないと感じるほど、ダンスの世界は奥深いものでした。
それでも、ひとつの区切りをつけようと思ったんです。
「マイケルに始まって、マイケルで終わった」
私にとって、そんなダンサー人生だったように思います。
 

後編予告|10月23日(金)公開予定
マイケルがダンサーたちに注いだ愛、最愛の夫ジョージ・ジャクソンさんとの人生、そして映画『Michael』への率直な思い。後編では、ユーコさんが見つめてきたマイケルの素顔に迫ります。

 
インタビュアー 佐藤美枝子
撮影:間野真由美
取材協力:CELLULAM / SONIC MEDICAL SYSTEMS JAPAN OFFICE
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小野田龍之介

ユーコ・スミダ・ジャクソン(Yuko Sumida Jackson)

ダンサー、モデル、起業家。
1985年、単身ニューヨークへ渡り、ダンスのキャリアをスタート。
日本人として唯一、また女性として初めてMichael JacksonのDangerous World Tourダンサーを務め American Music Award, Soul Train award 「Remember the time 」、Jackson Family Award, 「Black or White 」,「Ghost」などのPVにも出演。
Prince、Mick Jagger、James Brown、Paula Abdul、Babyfaceら世界的アーティストとも共演。
さらにThierry Muglerをはじめ、LA、NY、Parisのファッションシーンでモデルとして活動。帰国後は独自の身体表現メソッド「Awakening」を創出し、現在は自身の火傷の経験こら生み出した美容・ウェルネスと細胞活性化テクノロジーを融合したCELLULAMを開発、国内外にて展開中。
2026年9月にはParis fashion week にもモデルとして出演。
ダンス、ファッション、ウェルネス、テクノロジーを横断し、それぞれの持ち備えた細胞からの美や健康、また身体表現の可能性を追求している。


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