インタビュー Vol.70
デビュ−45周年!輝き続けるミュージカル女優のルーツはジャズに!
島田歌穂


 
島田歌穂さんのデビューは何歳の頃ですか?
子役でデビューし、今年芸能生活45周年になります。父は音楽家で、作曲、編曲、ヴォイストレーナーもしていました。昔、アレンジャー兼ピアニストとしてジャズのビッグバンドでピアノを弾いていたんです。母はタカラジェンヌ(宝塚歌劇団)で初めてジャズ・ナンバーを歌った人で、その公演を機に、ジャズ業界からお誘いがあったそうです。宝塚歌劇団を辞めた翌々日にはすぐに母はキャンプでジャズ・シンガーとして歌い初め、そんな中で母と父は出会い結婚しました。私がお腹の中にいる頃、母はまだステージで歌っていたので、私は胎教からジャズを聴いていたことになります。父が家で歌を教えていたので、生まれてからも、毎日レッスンの歌声が子守唄代わりで…。ですから、幼い頃から耳で聴いた英語で洋楽を歌っているような子供でした。

 
お父様が在籍されていたビッグバンドは何というビッグバンドですか?
「朝比奈五郎とダウンビーツ」というビッグバンドでした。

 
多才な島田歌穂さんですが、最初に習ったお稽古事はなんですか?
4歳の時に母がクラシックバレエを習わせてくれました。母は宝塚歌劇団で育った人なので、きっと芸事の大事さをよく知っていて、私にも習わせてくれたのだと思います。お稽古をはじめたら本当に楽しくて楽しくて、絶対休まずに通っていましたね。家ではいつも歌っていて、気がついたら、歌ったり踊ったりすることが大好きになっていました。

 
素晴らしい環境でしたね!
ごく自然にそんな環境の中で音楽やダンスなどの芸事に触れさせてくれた両親には本当に感謝しています。10歳の時に「テレビドラマの子役やってみない?」と誘っていただき、ぜひ挑戦したいと思いすぐに子役としてデビューしたのですが、ちょうどその頃に『ザッツ・エンターテインメント』という映画を見て、ミュージカルの珠玉の名場面集に凄く感動して、ミュージカルっていいな〜って思いました。その後、一時期アイドル歌手をやっていた時代もあったのですが、なかなか思うようにいかなくて…。ちょうどその頃、『シンデレラ』というミュージカルのオーディションを受けてみたんです。そうしたら運良く主役のシンデレラ役に抜擢いただきまして、18歳で初舞台に立ち、ミュージカル・デビューをしました。その後、2年半ほどの間、アルバイトをしながらオーディションを受けて、少しずつミュージカルにも出演させていただけるようになっていきました。

 
レッスンは欠かさず続けていたのですか?
中学時代に少しだけお休みしていた時期もありましたが、またミュージカルに出るようになってからはジャズダンス、タップとバレエはレッスンしていました。歌のレッスンがいちばん遅かったですね。ミュージカルをやるようになった20代半ば位から始めました。

 
当時なさっていたアルバイトとはなんですか?
初舞台後、すぐに次々と舞台が決まるわけではなく、私自身、「このままでいいのかな」と、ちょっと悶々としていた時期があり、父が「ジャズでも勉強してみなさい」と背中を押してくれて、それがきっかけで父がピアノを弾いていた赤坂のジャズクラブで、19歳から21歳くらいまでの約2年半、ジャズを歌わせてもらいました。そのお店では毎日ショーをやっていて、父がそのショーの構成とアレンジをしながら、演奏、出演もしていました。毎日お客様の前で、ピアノトリオをバックに歌わせていただけたなんて、今考えるとすごいことですよね。父にジャズの譜面の書き方を教えてもらいながら、自分で譜面を書いてレパートリーを増やしていきました。その時代に学んだことが本当に今も役立っていますね。本当にありがたい貴重な経験でした。

 
英語の発音については?
発音はなぜか苦労しなかったんです。中学生の時、英語の先生に「島田は海外で生活していたのか?」と訊かれ、「いいえ、海外には全然行ってません〜」と。そうしたら、先生から「発音がいいから読みなさい」と褒められて、よく授業で英語の例文などを読ませてもらったりしていました。小さい頃から英語の洋楽が日常的に家の中で流れていて聞いていたことで、自然と身についていったのかもしれません。だからジャズも、あまり発音には苦労することなく歌えるようになっていったのかなと思います。そしてミュージカルのオーディションも受けながら、ジャズ歌手として色々なライブハウスでも歌わせてもらうようになりました。その時によく伴奏していただいていたのは大隅寿男トリオや八木正夫トリオの皆さんでした。

 
どんなお店で歌われていたのですか?
毎月出演させていただいていたのは、新宿のカーニバルです。六本木のバランタインやサテンドール、G7でも歌わせていただいた時期がありました。あ!そうそう、アルフィーでは初めて佐山雅弘さんとお会いして、2曲ほど歌わせていただいたことをよく覚えています。それで当時(1987年)スイングジャーナル誌のジャズ・ヴォーカル新人賞をいただくこともできました。

 
新人賞といえば、ゴールデン・アロー賞でも新人賞を受賞されましたし、その後も様々な賞を受賞され続けていますね!
舞台で演じられていることだけでも幸せなことなのに、賞として改めてご評価いただけることは、本当に嬉しくありがたいことです。

 
(編集部補足:島田歌穂さん受賞歴の一部)
・ 1986年 第24回ゴールデン・アロー賞新人賞(演劇部門)
・ 1988年 第38回芸術選奨文部大臣新人賞(レミゼラブル/大衆芸能部門)
・ 1990年 第32回米国グラミー賞「Best Musical Cast Show Album」(レ・ミゼラブル/インターナショナル・キャスト盤)
・ 1996年 第21回菊田一夫演劇賞
・ 2006年 第27回松尾芸能賞優秀賞(江利チエミ物語、レ・ミゼラブル2,000回記念公演)
・ 2007年 第41回紀伊國屋演劇賞個人賞(飢餓海峡)、第14回読売演劇大賞優秀女優賞(飢餓海峡、ベガーズ・オペラ)


そして、歌穂さんの代名詞とも言える、ミュージカル『レ・ミゼラブル』との出会いですね。
そうこうしているうちに『レ・ミゼラブル』のオーディションがありまして、私が受けたエポニーヌ役には3,000人以上の応募が殺到して「これは受かるわけがない」と思いながらチャレンジしたのですが、思いがけず合格することができました。それで、ジャズ歌手としての活動は少しお休みしてミュージカルへ方向性を絞っていきました。
 
エポニーヌを演じられてから32年、『レ・ミゼラブル』1,000回以上出演という、これまでのミュージカル人生を今振り返ってみていかがでしょうか。
今までやらせていただいた経験の全てに無駄はなく、どれ一つ欠けても今の自分はない!と言えるほど、全てが貴重な体験でした。なかなか先が見えず悶々としていた時期に始めたジャズも役に立ちましたし、ミュージカルとジャズの関係はとても深いので、舞台をやる上でも、ジャズを歌っていなかったらこんなふうには歌えなかったな、と思うこともしばしばありました。レミゼは全て歌で綴る作品なので、いかに歌詞を台詞として伝えるか、ということを深く学ばせてもらいました。それは歌手としての歌の表現にも大きくつながっていると感じますし、これは私が永遠に挑戦し続けるテーマとなっています。
 
これまでのあらゆる経験や努力が、無駄なく今に活きているようですね!
高校生の時に初めて時代劇に出演し、バレエやジャズダンスなど、いわゆる洋物しか知らなかった私は、着物の着方もわからず、所作もわからず、すごく悔しい思いをしたんです。その時に母から、「女優をやるなら和物もできなくちゃダメね!」と言われ、それから日舞と三味線のお稽古を始めました。その後、和物のお仕事をいただいても全然怖くなくなりましたし、実は三味線を始めた時、一緒に長唄のお稽古も始めたのですが、それが、今、夫の島健とやっているDUOコンサートで民謡を歌うのにすごく役立っているんです。民謡との出会いは30年ほど前、伊藤多喜雄さんとラジオ番組でご一緒した時に「歌穂ちゃん、民謡歌ってみたら?」とお誘いいただき、「島原地方の子守唄がいいんじゃないかな。こぶしも自由に回していいから」と進めてくださって。恐る恐るでしたが、とにかく自分なりに歌ってみたら、なんていうか、日本人の血が騒いだというか、心の奥底に深く感じるものがあったんです。同時にふと思ったのは、長唄をやっていたことが凄く生かされていた、ということ。わぁ、レッスンしてて良かった!と改めて思いました。コンサートではミュージカル、オリジナル、ジャズ、日本の歌、民謡、あらゆるジャンルを歌いますが、今までやってきたことをすべて詰め込んでステージができること、本当に幸せだなと思います。すべての出会いに感謝、そして、色々なことを経験させてくれ、ごく自然にその環境に導いてくれた両親に感謝ですね。

 
お母様は元タカラジェンヌということでしたが、歌穂さんを宝塚歌劇団に入るようには勧められなかったのですか?
実は、小学校5年生の時に宝塚歌劇団の『ベルサイユのばら』を観て感動して、「お母さん、私、宝塚を受けてみようかな」って相談したのですが、すでに子役として仕事を始めていたので、意外にも母は勧めなかったんですね。母は宝塚退団後、すぐにジャズ歌手になったのですが、女性ばかりの、ある意味守られた華やかな世界から、いきなりタフな音楽業界へ入って、環境の違いになじむまではやはり凄く苦労したらしく、「私と同じ苦労はさせたくないから」と、あまり前向きには勧めなかったのかもしれませんね。でも、後から気付けば、母は私に宝塚歌劇団で学ぶことと同じぐらいの芸事をちゃんと身につけさせてくれていました。本当に感謝しかありません。

 
これまでに「もう辞めたいな〜」なんて思われたことはありましたか?
ないです!!!(笑)
でも多少はあるかな。最近、体力的にロングランのミュージカルは少しきついな〜って(笑)

 
舞台俳優さんはアスリート並みの体力が必要なんだろうだなっていつも思います。ミュージカル『ビリー・エリオット〜リトルダンサー』もダンスシーンが沢山、歌もお芝居も濃密で俳優さんは本当に凄い消費カロリーだなって思いました。
稽古期間も入れて初日から地方公演まで約半年くらいだったでしょうか。身体のメンテナンスは必須です。特に最近は感じていますね。

 
ロングランの舞台にはもうご出演なさらない、なんてことはないですよね…?
もちろんですよ!まだ今は申し上げられませんが、来年もすでに長い公演が決まっていますので、頑張ります!!

 
ミュージカルファンは本当に熱心な方ばかりですよね。特に歌穂さんの出演作品はどれも大人気で、チケット入手困難が続きましたね。
有難いことに運を使い果たしました(笑)


毎日、2,000人以上の観客のスタンディング・オベーションの嵐の中で幕が降りるという熱気の臨場感を味わっている終演後の俳優さんのテンションはどのようなものなのでしょうか?
舞台中はずっと興奮と緊張感に包まれているので、舞台が終わった後、しっかり栄養を採って、良い睡眠をとって、少しでも疲れを取って、次の日を迎える準備をします。アルコールは喉のことを考えると適度にですね(笑)
 
初日を迎える時と大千秋楽を迎える時は、やはり緊張感は違うものですか?
初日はお客様がどう反応してくださるのか、ワクワクする思いと、うわぁ〜この場から逃げたいと思う独特の緊張感がありますね。お客様とは一期一会ですから、毎回緊張します。今日感じたことを明日また生かしていこうと思いますし、日々前進の思いの積み重ねで舞台に立っています。

 
歌穂さんが影響を受けたアーティストは?
ライザ・ミネリとかバーブラ・ストライザンド、フレッド・アステア、ジーン・ケリーですね。父が「綺麗な英語でストレートに唄う歌手を聴きなさい」とアドバイスして勧めてくれたのですが、ジャズ・シンガーでいちばん最初に聴いたのはドリス・デイでした。その次にエラ・フィッツジェラルドが大好きになり、エラをずっと聴いていました。日本人では、『江利チエミ物語』でチエミさん役をやらせていただいたので、チエミさんや雪村いづみさん、美空ひばりさんの三人娘はあまりに大きな存在ですし、森山良子さんも夫共々お世話になっていて大尊敬させていただいています!

 
今まで沢山の役を演じてこられて、ご自分と似ているなって思う役はありましたか?
どんな役でも、「あ!わかる!」っていうところを見つけないと演じられないかもしれません。作品によって心の引き出しを広げてもらってきたというか、人生の捉え方とか、生き方を教えてもらってきた部分もあると思います。でも、『ビリー・エリオット』でのウィルキンソン先生は、かなり強烈な肝の座ったオバちゃんの役で、その後の『メリー・ポピンズ』ではいよいよ、老けメイクのおばあちゃん役と、世にも恐ろしい子守のおばちゃんの二役でしたし、映画『メリー・ポピンズ リターンズ』のメリル・ストリープ演じるトプシー役の吹き替えでは、まさに魔女の役でしたし…。最近つくづく魔女枠になってきたな〜と(笑)。でも、どの役も大切な出会いですし宝物ですから、ありがたいなと思います。


大阪芸術大学でミュージカルを教えていらっしゃいまうですが、『リトルダンサー・ビリー・エリオット』ご出演の子役さんたちも凄かったですね!教えることで思うことは? ちょうど私が子役でデビューしたのが10歳だったので、彼らと同じ位の年齢ですよね。
ビリーの場合は求められるスキルとレベルの高さがケタ違いですから、バレエもタップもアクロバットも、ましてや、生の舞台ですからね。子供の頃の私には絶対できなかったと思います。やはりビリーは選ばれし子供たちだなと思いました。本当に彼らには日々教えられることばかりでしたし、子供の進化の速さにもビックリで感動でした。芝居も、「何でこんなに良い演技ができるの〜っ!」て、こちらが参っちゃうような瞬間もたくさんありましたね。

 
ジャズの世界と演劇の世界の違いですが、ジャズはその場で出合った即興で、演劇は長期間時間を共有するカンパニーですよね。
お稽古期間から入れると本当にファミリーのような感じになりますね。でもジャズの化学反応もその場でしか生まれない、刺激的な醍醐味が凄いでよすね。
 
歌穂さんと、島健さん、お互いにリスペクトし合いながら素敵なご夫婦で、8月開催のサントリーホールブルーローズのコンサートもsold outと伺いました!
今回はちょっと面白いことをやろうと思っています。歌をお聴きいただくだけでなく、ミュージカルについてのお話しをさせていただいたり、最後には会場の皆さんとご一緒に歌う、という体験型のコンサートになります。海宝直人さんがゲスト出演してくださるのですが、海宝さんとはオリジナル・ミュージカル『蝶々さん』や『二十四の瞳』で共演させていただいたり、島健もミュージカル『ジャージー・ボーイズ』でご一緒していて、もう長いお付き合いなんです。この日限りの特別なものをお届けできると思います。

 
そして9月にはいよいよ島田歌穂さん45周年記念コンサートが控えていらっしゃいますね。
はい。感謝の思いをいっぱい詰め込んだステージにしたいです。ゲストは、40周年記念コンサートの時に続き、今回も井上芳雄さんをお迎えします。井上さんとも長いお付き合いなんですが、なぜかずっと舞台をご一緒する機会がなくて、昨年のミュージカル『ナイツ・テイル ―騎士物語―』でやっと初共演させていただきました。それこそ『ナイツ・テイル』はイギリスの演出家・ジョン・ケアードを中心に、出演者もみんな本当に仲良しなファミリーで、井上さんもお忙しい中、スケジュールを調整してくださり、本当に感謝しています。


ご結婚から25周年、年末恒例の『Duo Xmas Special Live』は10回目ということで、令和元年が色々な記念年になりましたね。島さんが腱鞘炎でピアノを弾けなかった時は歌穂さんが代わりに弾かれたり(笑)
あの時は本当に大変でした(笑)まったく一人きりでコンサートを務めました。アカペラで歌ったり、自分の声でコーラスを多重録音したり、数曲弾き語りもしたんです。島健にレッスンしてもらい、相当練習しましたよ(笑)
 
島健さんとは、喧嘩などはなさったりするのですか?
時々ちょっと言い合ったりはしますけど、30秒後には島健が鼻歌なんか歌っちゃったりするんですね…で、結局全然喧嘩している気にならないんですね(笑)。大切にしていることは「ありがとう」と「ごめんね」。これはお互いにちゃんと伝え合うようにしています。

 
ぜひ島健さんに、ご自身のビッグバンドを作ってもらいましょう!
わぁ!それは夢のような素敵なお話しですね!JUJUちゃんのジャズライブの時も島健は贅沢な凄いメンバーとご一緒していましたからね。もう羨ましい限りです(笑)。
 
それでは最後に、8月12日の『サマージャズ』ご出演にあたってメッセージをお願いします。
この伝統あるサマージャズに出演させていただけてすごく嬉しいです。ジャズは両親からの影響で自分の中での音楽のルーツなので、私にとっては特別なものです。今回、ビッグバンドで歌わせていただくことも久しぶりですし、両親のことも思い起こしながら、感謝をこめて楽しく歌わせていただきたいと思います!

 

 
【島田歌穂 プロフィール】
1974年、子役デビュー。87年、ミュージカル『レ・ミゼラブル』で脚光を浴び、出演回数は1,000回を超えた。同作の世界ベストキャストに選ばれ、英国王室主催の御前コンサートに出演。更には、参加したベストキャストアルバムが米国にてグラミー賞を受賞するなど国際的にも高い評価を得る。近作では、ミュージカル『ビリー・エリオット』『メリー・ポピンズ』『ナイツ・テイル』に出演し好評を博した。17年、ディズニー映画『美女と野獣』、19年、『メリー・ポピンズリターンズ』にて吹替を務める。_女優、歌手として幅広く活躍。大阪芸術大学教授。今年、デビュー45周年を迎えた。

 
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(編集後記)
インタビューとは別に、歌穂さんから驚きのエピソードを伺ったのでご紹介させていただきます。歌穂さんのお祖母さまは、いわゆる元祖モダン・ガールで、戦後、新宿でSP盤を流すジャズ喫茶を開いておられ、お母さまは看板娘としてジャズを歌っていたそうです。その『ノック』という名のお店には、穐吉敏子さんが当時若手だった渡辺貞夫さんを連れて来たり、松本英彦さんも来店されていたとのこと。
1956年、穐吉さんが渡米するにあたって家財道具を引き払う際に、お祖母さまは穐吉さんから蓄音機を譲り受けたそうです。そして、出発の前夜、穐吉さんはお祖母さまのお部屋に泊まられ、一緒に並んで寝て、その翌朝、穐吉さんはそこからアメリカに旅立って行かれたというのです!穐吉さんのアメリカ挑戦の第一歩が、歌穂さんのお祖母さまのお部屋から始まっていただなんて、何とも奇遇なロマンを感じますよね!
2001年、9.11事件の翌年、歌穂さんはミュージカル仲間たちで何か支援できることはないかと、チャリティー・コンサート『Thank you! Broadway!』を日本で何度か上演しました。その公演をニューヨークでも実現したいと考え、視察も兼ねて、当時95歳だったお祖母さまを「最後のチャンスかもしれないし…」との想いで、一緒に連れてニューヨークへ行かれたそうです。ニューヨークではミュージカルを鑑賞したり、ジャズのライブも周ったり、楽しい思い出が沢山できたそうです。そしてその時に開かれた穐吉さんのパーティーで、お祖母さまは穐吉さんと何十年かぶりに再会できたそうなのです!
そして、島健さんも穐吉さんとのご縁が豊富で、佐山雅弘さんプロデュースのコンサート『ジャズ・ピアノ6連弾』で共演されたり、穐吉さんのお嬢様のマンディ満ちるさんのアレンジを担当されています。とにかく歌穂さんの周辺は、お祖母さまの時代からずっとジャズとは強い運命で結ばれているかのようですね。改めて歌穂さんのルーツはジャズにあるのだと実感させられたエピソードでした。

 
インタビュアー:佐藤美枝子
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