インタビュー Vol.62
伝統を受け継ぎ、さらなる進化を目指すデキシー界のエース!
薗田勉慶|青木研
お二人が楽器を始めたきっかけは?
薗田:小学生の時に父(憲一氏)が中古のコルネットを買ってきまして、「ちょっと吹いてみろ」というので遊び半分に吹いてみたのが始まりですね。デキシーキングスのOBでもあり、ジャンボリーでもデキシーサミットのリーダーとして出演されるトランペットの中川喜弘さんが、息子さんの中川英二郎さん(日本を代表するトロンボーン奏者)を連れてよく家に遊びに来たんですよね。英二郎さんが父とトロンボーン談義に花を咲かせている間に、僕の方は喜弘さんにトランペットの音の出し方を教わったりしました。それで、学校のブラスバンド部にも入ってコルネットを担当していたのですが、ある時、顧問の先生から「うちのブラスバンドにはトロンボーンがいないから、君のお父さんのトロンボーンを持ってきて吹いてくれ」と先生に言われて、それでトロンボーンを吹いてみたりもしましたし、「やっぱりトランペットが足りないから、トランペットを吹きなさい」と言われたりで、交互にやっていましたね(笑)。中学校でも吹奏楽部に入ってトロンボーンを吹いてはいたのですが、それよりもロックが好きになって、別のバンドでエレキベースを演奏したりもしていました。クラシックもロックも、音楽全般何でも好きでした。
青木:僕は子供の頃から古いものを集めるのが好きだったんです。僕の出身は千葉県の流山市なんですけど、当時お隣の野田市にあった土蔵を取り壊していて、そこからSPのレコードが出てきて、それを聴いたんですよね。そこに入っていたバンジョーの音に惹かれて、昔の時代の音楽に興味を持つようになりました。またそれとは別に、運動会のフォークダンスでよくかかっていた民族的な音楽も好きだったんですよね。それが小学3~4年生の頃でしたけど、その当時はまだ、その音が「バンジョー」という楽器のものだということすら知らないし、今みたいに簡単に調べられる術もないですからね、「この音はなんだろう?」ってすごく興味をもったのが最初のきっかけでしたね。その後、それが「バンジョー」という楽器であることを知って、自分もやってみたいと思って楽器屋を巡るんですけど、どこにもなくて。やっと扱っているお店を見つけて取り寄せてもらって、2万円くらいの一番安いものを買ってもらったんですね。それが中学2年生の13歳の頃でした。
音楽の勉強はどのように?
薗田:僕は高校を卒業してから音大に進んでクラシックのトロンボーンを勉強していました。高校まではロックが一番好きでしたけど、大学の時はクラシックでしたね。卒業後はいったん就職したんですが2年間で辞めて、ジャズの勉強をしていました。その頃に父が咽頭癌を患ってしまったのですが、当時、父の代わりにエキストラで入っていたトロンボーンの方の演奏がすごく格好よくて。そのプレイに惚れちゃって、自分でもやってみたくなってデキシーの道に入り込んでいきました。
青木:僕の場合は、専門教育どころか習うところがなく、先生すらいないし、今みたいにインターネットで調べることもできないので、独学するしか道がなかったですね。小さい頃に、習い事でピアノをやっていたおかげで最低限の音感が身についていたので、それこそ、薗田さんのお父さんのレコードなんかを聴いて、どうやっているのか探り探り練習していました。奏法についても、お手本がないので、身近にある他の楽器の演奏もあてにしながら、何とか見よう見まねでやっていましたね。 勉慶さんは音楽大学でクラシックを学ばれて、将来はクラシックのトロンボーン奏者を目指されていたのでしょうか?
薗田:それは全くなかったですね(笑)
デキシーの奏法は、やはりお父様から教わったのでしょうか?
薗田:練習方法を父に訊いても、「レコードを聴くだけだよ!」と言うだけで、特に教えてくれたりはしませんでしたね(笑)
プロデビューはいつでしょうか。
薗田:デキシーキングスには父が病気を患ってから、父の代打として入ったりしていましたが、正式に入団したのは、父が亡くなった2006年からですね。
青木:高校2年生くらいの時にデキシーキングスのバンジョーの永生元伸さんから声をかけてもらって、ステージで3~4曲弾かせてもらいました。それが最初の演奏ですね。永生さんは、僕が初めて出会った生身のバンジョー奏者で、それ以降は永生さんに色々と教えてもらいました。
バンジョーといえばカントリー・ミュージックやブルーグラスのイメージがありますが、そちらに興味は向かなかったのですか?
青木:最初から、戦前の日本の歌謡曲やジャズ・ソングやオクラホマ・ミキサーのトレモロなどを四弦の奏法でやってみたかったんです。いちばん最初に手に入れたのは五弦のバンジョーでしたが、僕は最初から弦を1本取っ払って四弦にして弾いていました。いわゆるデキシーランド・ジャズの奏法を真似して弾いていました。
当時、バンジョーの教則本はあったのでしょうか?
青木:買ったバンジョーに、チューニングとピックの持ち方くらいが書かれた説明書と、ソノシートみたいな付録がついていましたね。でもそれは五弦用なんですよ。四弦用の教則本は全くなかったので、ギターの教本を参考にしたりもしましたが、完全に独学ですよね。先人たちが残したレコードやCDだけが頼りでした。
バンジョーを間近で見たことがないのですが、種類も色々とあるのですか?
青木:大別して五弦と四弦。六弦というのもありますが、バンジョーのほとんどは五弦です。そして、四弦には「テナー・バンジョー」と「プレクトラム・バンジョー」という2つの種類があって、調弦が違うんですよ。私が主に弾いているのはプレクトラム・バンジョーで、こちらの方がネックが長いんです。ピックは、四弦はフラットピックなんです。五弦はフィンガーピックで3本の指にはめるスタイルです。
青木さんの動画をたくさん拝見しましたが、私が抱いていたバンジョーのイメージをはるかに超越するすごい演奏でした!
青木:まあ、ウクレレでもスチール・ギターでも何でも、あらゆる楽器で言えることですけど、ソロの技で勝負するようないわゆる「名人芸の世界」みたいなジャンルがあるんですよね。バンジョーのはジャンルと言うほど大きなものでもないですけど(笑)。ただそれも、普通にバンジョーを練習していったら、そうなっていったというだけであって、特別にそういうスタイルを目標としてやってきたということでもないんですよね。自分では特殊なことをやっているわけではなく、正統なことをやっているつもりなんですが、他にやる人もあまりいないので、珍しいものとして評価いただいているのかもしれませんね。
最初からバンジョーの先生についてレールの上をなぞっていくような勉強の仕方だったらまた違っていたのかもしれませんね。
青木:最初はやっぱりとても苦労したので、本当は先生について習った方が絶対良いのだと思いますが、それができなかったですからね…。今思えばですけど、結果的にはそうではない良さもあったと思います。表現力に関しては、最初から固定したものを決めなかったのがかえって良かったのかもしれませんね。
現在だと習うところはあるのでしょうか。
青木:はい、僕の教室で教えています(笑)
デキシーというジャンルへのこだわりはありますか?
薗田:デキシーは素朴でありながら、エキサイティングなところもあり、色々な要素があり、今あるポピュラー音楽の最も根元にある音楽なんだな、というのが分かって、やればやるほどハマっていく感じですね。毎回決まったことをやるのではなく、その時の自由な気持ちで演奏できるという良さがあります。
デキシーのファンはご高齢の方が多いようですが、プレイヤー事情はいかがでしょう?
青木:確かに、昔からのファンがずっと聴いてくださっているというのはありますね。プレイヤーの方は、デキシーを演奏する若い人はたくさんいるし、みんな楽器も上手で活気がありますよ。
デキシーはエキサイティングで本当に楽しいですよね。今の若い世代の人たちもノリノリで楽しめると思います。
薗田:10年くらい前ですけど、知り合いのロックバンドのライブにゲスト出演させてもらったことがありまして。デキシーにロックっぽいテイストを混ぜながら演奏したんですけど、その時のお客さんの反応がよくて、嬉しくなりましたね。デキシーという昔ながらの伝統を守りつつも、若い世代のお客さんも入ってきやすいような工夫をすることも大切だなって、その時感じましたね。
そういえば、勉慶さんのファッション、格好いいですよね!若い世代へのアピールでしょうか?(笑)
薗田:アクセサリーは中・高時代から好きで集めていたんですが、その頃はお金がなくて沢山は買えませんでしたけれど、大人になってから買えるようになってきてどんどん増えていきました。それで、持っているだけじゃもったいないから、全部着けちゃえ!って(笑)。だから、元々好きなだけで、若者ウケを狙ってこういうファッションにしているということではないですよ(笑)
青木さんの衣装はフォーマルっぽいものが多いですよね。
青木:ええ、これも特に何かを狙っているわけでなく、私はどうもコンサバティブな性質なんです(笑)。
演奏中の青木さんの笑顔がとにかく素敵です!(笑)
薗田:楽器が楽器だから、あまりストイックに見せたくないというのがあるんですよね。実際「楽しいから」という理由ももちろんですけど、難しい所でもリラックスして演奏しようと思うと、結果的にああなるんでしょうか(笑)
青木さんが楽しく演奏されている姿を見ているだけで、お客さんも楽しくなってきますよね。青木さんの笑顔が見たくてライブに足を運ぶっていうファンも大勢いると思いますよ。
青木:そうだといいですね(笑)
デキシーを聴きたいとき、初心者の方はどういうところに行くのがよいのでしょうか。
青木:それこそジャンボリーがうってつけですよね。それぞれ特徴あるバンドが入れ替わり立ち替わり演奏しますから、その違いも体感できるし、ジャズというか生演奏をあまり聴くことがない人でも、理屈抜きで楽しめると思います。
薗田:ジャンボリーに出演しているバンドは、ライブハウス、音楽イベント、テーマパークやショッピングモールなんかでよく演奏しています。企業のパーティーイベントや学校の鑑賞教室などで演奏させていただく機会も多いですが、それは一般公開はされていないですけどね…。デキシーに触れられる機会は結構たくさんあります。ぜひライブにも観に来ていただきたいですね。楽しいですよ!(笑)
2019年1月12日(土)に開催予定の《デキシーランド・ジャズ・ジャンボリー Vol.11》に向けて、出演者の中から若手プレイヤーのお二人にお話をうかがうことができました。お二人のちょっとシャイな人柄も魅力的で、お話から「デキシーランド・ジャズ」に対してとても真摯に向き合っているんだということがひしひしと伝わってきました。聴けば誰もが笑顔になれるデキシーの楽しさを、古き佳き伝統をきっちり受け継ぎながら、これからもずっと多くの聴衆に伝え続けていってください!
薗田 勉慶(tb)
1976年東京都出身。デキシーランド・ジャズの草分け薗田憲一は1960年に「薗田憲一とデキシーキングス」を結成し日本のジャズ黎明期を牽引した。2006年に惜しくも他界。父・薗田憲一の意志を継ぎ「薗田憲一とデキシーキングス」の二代目トロンボーン奏者となったのが、長男の薗田勉慶である。若手ながらデキシーランド・ジャズをメインに演奏する数少ないプレイヤーであり、テクニック、音色ともに申し分なく、これからのデキシーランド・ジャズ界を盛り上げていくプレイヤーとして将来を嘱望されている。ジャズの中で最もハッピーで心温まる音楽といわれているデキシーランド・ジャズの魅力を若い世代にも伝え、老若男女問わずデキシーに興味を持ってもらえるよう精力的に演奏活動およびアレンジに取り組み、東京を中心としたライブハウス、コンサート、ジャズ・フェスティバルなど、各種イベントで活躍中。
青木 研(banjo)
1978年千葉県流山市出身。7歳頃、二村定一などの唄う「ジャズ小唄」をはじめとする、蓄音機やそこから流れる戦前音楽に親しみ、それらの曲に使われていたバンジョーのサウンドに特に強い魅力を感じる。13歳で初めてバンジョーを手にしてから、ディキシーランド・ジャズで使われる4本弦のバンジョーをほぼ独学でマスターする。千葉県柏の東葛飾高校在学中より演奏活動をスタート。ライブハウス、ホール、イベント、テーマパーク、ホテル、レストラン、客船、内外ジャズ・フェスティバルやバンジョー・フェスティバル、ラジオ、TV等で演奏。2010年、アメリカ・サンノゼのバンジョー大会にヘッドライナーとして、2011年、FIGA主催の全米バンジョー・コンヴェンションに、2013年はハンガリーで開催されたジャズ・フェスティバルにソリストとして招聘される。バンジョー主体の演奏の他、数多くのディキシーランド/スイング・ジャズの演奏家をはじめ、ブルーグラス、ジャグバンド奏者、管弦楽団、吹奏楽団との共演、ソリスト、歌手等のサポートなど多種のステージを通し、楽しげなステージングと華麗なテクニックで観客を魅了している。米JAZZ BANJO MAGAZINE、ALL FLETS、オランダBN/DESTEM、ジャズ批評、JAZZ LIFE等で特集記事が組まれる。
バンジョー奏法は、ディキシーランド・ジャズのスタイルはもちろん、当初からバンジョー・ソロ系の、エディー・ピーバディ、ハリー・リーサー、ペリー・ベクテルをはじめ、あらゆる奏者からの影響を受ける。日本では数少ない、ソリストとして演奏することのできるバンジョー奏者。
インタビュアー:関口彰広
ステージ写真:by Koji Ota
ステージ写真:by Koji Ota
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