インタビュー Vol.60
津軽三味線の「伝統」と「革新」をユニークに奏でる奇才!
上妻宏光


 
●まず、三味線との出会いはどんなことがきっかけだったのでしょうか。
僕は6歳から三味線を始めましたが、父親が三味線を趣味でやっていまして、その音を聴いて好きになって、同じ三味線教室の師匠につくようになったんです。父は普通のサラリーマンでしたが、老後もずっとできる趣味として近所で三味線や民謡をされる方からお誘いがあって始めたようです。

 
●お父様が上妻さんの素晴らしい感性と才能を開花させるきっかけを与えてくださったのですね。上妻さんが三味線の道に進まれて、お父様はお喜びになったでしょうね。
今となってはそうかもしれませんが、当時は「お父さん、間違っているよ」とか僕からの指摘がうるさかったので、鬱陶しかったでしょうね(笑)。ある程度弾けるようになってくると、日曜日とか、余興で呼ばれることが多くなってきたんです。そうすると、最初、着物も着付けができなかったので、忙しながら、父親が同行してくれて着付けてくれました。母親が美容師なので、着付けは母親から習って、着せてもらって、ということを結構やってもらっていましたね。

 
●三味線という日本の伝統楽器から想像するのは、まず民謡ですが、いちばん最初に覚えて演奏した曲はなんという曲ですか。
覚えたのは『津軽甚句』という青森の民謡ですが、割と基礎というか、簡単な曲なので夢中で弾きましたね。

 
●少年時代、上妻さんは周囲のお友達からどんな風に思われていたのでしょうか。
当時、他に三味線を習っている友達はいませんでしたね。三味線という楽器自体が、変わっているというか、おじいちゃん、おばあちゃんがやっているような楽器というイメージだったと思います。でも、いつも普通に遊ぶような友達も沢山いて、“小”山の大将くらいな感じで威張ってやってましたね(笑)。友達はみんなが協力的だったというか、「凄いな」とか言ってくれたりしましたけど、楽器が珍しいとか当時の子供にとっては遠い存在だったので、僕に影響を受けて周りの友達も三味線を始めるようになった…といったことはなかったですね。

 
●その三味線教室は何歳まで通われたのですか。
6歳から15歳まで習っていましたね。その後、プロになりたいと思い上京したのですが、個人的に考えていたプロとして活動していく上での練習方法が違ったので、それなら独学で師匠から離れてやってみようと思いました。

 
●三味線の大会なども全国で沢山あるのでしょうか。
12歳の時に、青森の弘前でゴールデンウィークに毎年大会があって、津軽の発祥の楽器なので、いまでこそ色んなところで大会はありますが、僕が出ていた頃は弘前の大会しかなかったので、そこで全国のレベルの中で自分の実力を確かめたかったです。

 
●何度も優勝されているそうですね。
初めての大会では1つしか大会がなくて、翌年に2つ目の大会ができて、その2つめの大会で15歳の時に優勝しました。もう1つの大会では21、22歳の時に2回優勝しました。

 
●最初の大会で演奏された曲は?
『津軽じょんから節』ですね。
ジャズと同じように即興で演奏するスタイルなので、導入の仕方、音色、リズム、人によって、弱冠グルーヴも違ったりするので、音の正確さ、テクニック、流れなどを組んでの特典だったのですよねー。個人芸というか、ジャズと同じようなところがあるんですよね。だから、凄くトリッキーなジャズでいう変拍子だったり、グルーヴィングが上手いとか、構成の見方とかが分かるので、導入するとすぐに分かっちゃいますね。曲自体の長さは5分ありました。審査員が10名ほどいてA、B、Cのクラスがあって、三味線が5年以上のアマ、プロのクラスがA級で10代は僕と2人だけでした。

 
●優勝者には賞金がでるのですかー
2年目からの大会にはでましたね。そんなビックリするような金額ではないかもしれませんが(笑)

 
●三味線のお値段も高価な楽器ではないでしょうか。
そうですね。ちょっとした車一台分くらいはしますね。いま自分で所有しているのは7丁です。

 
●三味線は一丁、二丁というのですね。
一竿とか二竿とかという呼び方もあります。

 
●プロになろうと思われたのはどんなきっかけでしょうか。
大会で優勝したということも背中を押してくれましたけれど、やっぱり三味線というものが好きで、より多くの方に三味線を身近なものに感じてもらいたいという気持ちを子供の頃から感じていたので、何かしら、誰もがよく聴くような音楽の中で三味線が入ってくるような世界を作ってみたいという気持ちがありました。早く東京で勝負したいという気持ちがあって、中学生の途中くらいから、プロになれるなら目指したいという気持ちがありました。プロデビューは18歳です。




 
●三味線の練習法とはどんな練習法ですか。
他の楽器のように、決まったメソッドというものはないので、自分独自で考えながらやっていましたね。指を柔らかくするためのものとか、音の跳躍の練習であったり、そういうものは自分独自で考えてみたりしていました。部屋の電気を真っ暗にして、棹を見ないようにして、弾く練習だったり。

 
●夢中で聴いたレコードとかはありますか。
東京にきてから最初はロックバンドに入っていたので、70年代、80年代のハードロックとかディープ・パープルだったり、ジミー・ヘッダとかサンタナとか。
そこからアメリカに凄く興味を持って、ジャズもインプロで演奏するんだ・・・と思ってジャズを聴いたり、ルーツであるブルースやニューオリンズのデキシーも聴いたりして、割とロックとかビート感や、ジャズのインプロが津軽三味線と音楽的スタイルが凄く合うので、ジャズも聴くようになりましたねー。

 
●ジャズ・ミュージシャンとの共演はいかがでしたか。
ニューヨークでもストリートをやったり、深夜飛び入りができるライブハウスの時間帯にセッションしに行ったり、マンハッタンを色々と梯子したりとかしました。演奏は、中々、コード進行とか転調とか難しいものがあるので、上手く出来た時もあれば、逆に打たれたこともあるし、揉まれたことで良い経験をさせてもらいました。

 
●ファン層が幅広いのが素晴らしいと思いました。
そうですね、三味線をやっている男性ファンが色々とマニアックなことを聞いてくれたりすると嬉しいですね。

 
●今まであらゆるジャンルのトッププレイヤーと共演していらっしゃいますが。チャンレジされる原動力はなんでしょう。
ただ共演するのではなく、このアーティストさんと共演したら面白いだろうな、という意味があるから一緒にやるということですね。10代の頃はただがむしゃらにやってきましたが、今は自分のスタイルに何がどう合うのかを考えて共演させていただく感じですね。あとは、異文化とぶつかることの楽しさもあります。自分から共演したいと直接オファーすることもありました。

 



 
●お弟子さんは取らないのでしょうか。
取っていないですね。自分自身の活動もありますし、弟子を育てることは責任もあります。民謡の発表会とかお弟子さんの道を作っていくことの大変さなどを考えると自分の中での余裕がなかったのです。今後、指導するということは新たな自分の発見というものもありますし、ひとつ三味線を広げることの大事な活動だと思いますね。昔は断固としてやらないと思っていましたが、今は考え方が少し変わってきた部分があります。

 
●現在、唯一の愛弟子が志村けんさんですが、才能はいかがですか。
上妻さん、志村さんとスカパラさんのCMを拝見して、「氷結」を買ってしまいますね。
才能は凄くあります!努力されますし、ご自分の舞台でも演奏されていますしね。志村さんは10教えたら、必ず10練習してこられるかたですね。

 
●津軽三味線の歴史をひもとくと、とても一口では語れないとお思いますが、初めて聴くひとにその歴史を語るとしたら。
魂とか情熱がある。フラメンコやブルースに通じるジャズのように、虐げられて作ってきた歴史がありますし、ある種ストリートミュージシャンのように出てきた音楽なので、派手さはありますが、何か物悲しさがある、日本のブルースのような感じかなと思います。

 
●三味線の演奏の中で「間」というのが大事と語っていらっしゃいましたが、それはどんなふうに捉えたら良いでしょうか。
日本音楽の独特のリズム感や、きめ細かさ、奥ゆかしさといった日本の文化は、海外には無いものがあると思います。

 
●寝る時は三味線はやはり、枕元でしょうか。
母の話だと、子供の頃、寝る時に布団の中でゴソゴソと寝ぼけながら弾いていたことがあったとか・・・(笑)

 
●今回ご出演いただくSING LIKE TALKING(シングライクトーキング)のボーカリスト、佐藤竹善さんと共演はどんな刺激がありますか。
竹善さんが持っている独自のリズムやグルーヴがあり、ジャンルの幅や引出しがとても多く、出身地の青森や、演歌がベーシックにある事が、ステージでもフラットに繋がっている驚きを感じます。そして、ユーモアもありますよね!


 
●ピアノの伊賀拓郎さんはどんなかたですか。
弦アレンジもできるし、ジャズの現場も沢山経験がありますし、様々な事の出来る凄い人です!

 
●アルバムの最初の曲では作詞:佐藤さん、作曲:上妻さんで「この道のむこう」という楽曲がありますね。
自分が上京する時に不安と期待があって。色んな人が社会に入る時、学校に入るとか、様々な出発がありますが、新たな世界に向かって、希望を持って自分を信じれば、自分の先に目指すものが見えてくる応援歌というものを考えて作ってみました。

 
●上妻さんが50才までにやり遂げたいことはありますか。
あっという間にきてしまいますが、今までは割と洋楽の方との共演が多かったのですが、邦楽は閉鎖的な部分もあり同じようなステージに立たないので、その辺の垣根をできるだけ取っ払って、日本から発信できる音楽やエンターテイメントを創り上げることができたらいいなと思います。

 
●最後に、サマージャズにご来場くださる全国のジャズファンにひとことお願いします。
沢山の素晴らしいアーティストが出演されます。そして初めて三味線をお聴きになる方も、あ~こういう楽器でこんなこともできるんだという音楽の表現の幅を感じていただけると思うので、ぜひ楽しみにしていてください。

 

 

会場限定CDミニアルバム
上妻宏光”STANDARD SONGS”feat.佐藤竹善 COLLECTION
上妻宏光 Standard Songs feat. 佐藤竹善 2018 ツアー各会場にて販売
※第50回サマージャズの会場でも販売予定!

 
 

インタビュアー:佐藤美枝子
許可なく転載・引用することを堅くお断りします。
 


多彩な表現力と実力に裏付けされた上妻さんの三味線の音色は静謐なまでに神聖で、なおかつ、絃楽器でありながら、打楽器のように激しくも情熱的な演奏を聴かせてくれる。津軽三味線をポップフィールドで演奏し、和洋折衷の音楽センスは変幻自在の上妻流奏法に度肝を抜かされる。ジャンルを超え、リスナーの世代間も幅広く長年大勢のファンに支持される所以は、上妻さんの三味線愛に溢れる、軸のぶれない飽くなき新たな挑戦に期待しているからではないでしょうか。上妻宏光さん、佐藤竹善さん、伊賀拓郎さんの3人最強コラボをお聴き逃しのなきように!!