インタビュー Vol.55
“レゾナンス”リリース・ツアー2018ファイナルに向けて
ハクエイ・キム


 
●約6年前になりますが、2012年9月に丈青さんとのツイン・ピアノ企画公演の際、当協会でインタビューをさせていただきましたが、また改めてどうぞよろしくお願い致します。1975年5月6日、京都生まれ、5歳からピアノを始められた、とお聞きしておりましたが、育ったところも京都ですか?
京都生まれ、札幌育ちです。幼稚園の途中から高校を卒業まで札幌にいました。高校卒業してからはオーストラリアです。シドニー音楽学院大学でジャズ科ピアノ専攻を学びました。

 
●オーストラリアへ留学して現地のジャズ・ピアニストと出会ってジャズ・ピアノに目覚めて、ソロやトリオなどで演奏していた、とのことでしたが、ジャズ以外での活動は何かやっていましたか?
アフリカ人のバンド、インドネシア人のガムランバンド、チリ人のサルサバンド、あとは混合人種のファンクバンドなど色々やっていましたね。あと、カジノのスポーツバーで「トップ40バンド」とか。やれるものはなんでもやってました(笑)。様々なジャンル、最新のヒット曲などを知っておかないとできないので良い経験でしたし、それが今に活かされているんだと思います。色々な出会いがあって、今はジャズ・ピアニストとしての活動が主ですが(笑)。

 
●高校時代はロック・バンドでKeyを弾いていたようで。
もともとロック・ミュージシャンになりたいと思ってイギリスへ行きたかったのだけど、それを親が許してくれなくて。オーストラリア人の母親の友人がよく家に来ていた。その彼女に進路の相談をしたら、「私が(母へ)言ってあげると」と言ってくれて、じゃあオーストラリアだったら安心するだろう、ということで、「英語を勉強しにいく」ということで行きました。親も長く行くことはないだろうと思っていたと思うけど(笑)。まずはシドニーにある音楽学校へ入って、そこの先生がジャズ・ピアニストだった。自分のジャズというイメージは、昔のスタイルだけだったのだけれど、彼らのジャズが想像と違うもので凄くかっこよくて、そこから入っていきました。習いたい先生がいる大学に入りたいと思って、オーディションをうけるためにしばらくそこで頑張って、受験して大学へ入ったという感じですね。その年は、ピアニストは2人しか受からなかった。

 
●それは凄いですね!
頑張りましたよ(笑)。


 
●オーストラリアで数年間活動されてから日本へ拠点を移されるわけですが、海外と日本の音楽シーンやビジネス・スタイルがかなり違うと思いますが、実際どう感じましたか?
海外と日本は音楽シーンが全く違いましたね。日本の拠点として東京を選んだのは、ジャズのミュージシャンにとって東京はとても魅力的で、沢山ジャズを演奏できる場所でもありますしね。自分は東京を経由しないで、京都、札幌、それからオーストラリアへ渡ったので、東京は特に魅力を感じていましたし、一度頑張ってトライしてみたいというのもありました。でも、東京に来たのはいいけれど、最初は凄く大変だった(笑)。

 
●東京で直ぐに活動できるというのは凄いですね。
今でも憶えているのですが、羽田空港に着いて東京都内までのバス移動で首都高を通った時に、沢山立ち並ぶオフィスビル風景やびっしり詰まっている家々を見て、「こんなに人が沢山いるなら、ライブハウスはいつも満席で人がいっぱいなんだろうな」と思っていました。でも、現実はそんなに甘くなかったですね(笑)。「人は沢山いるのに、なんでお客がここにいなんだ!」って(笑)。

 
●そして、日本でのレコード・デビューですね。
デビューは、2005年、ディスクユニオンのDIWレーベル、「Open the Green Door」でした。オーストラリアのメンバーです。

 
●日本のミュージシャンと接点がなかった中、徐々に交流が増えていくことになるわけですね。
ライブのセッションが色々なミュージシャンと知り合うきっかけになりました。池袋のMiles Cafe(現SOMETHIN' Jazz Club)でバイトしていた時があって、印刷とかもしていましたね。経緯としましては、ある時、Miles Caféでジャム・セッションをやっているというので行って参加させてもらったら、お店のマイルス小林さんから「今度からホストやって」と言ってくださって、それから働くようになりました。そこで色々な人と知り合いましたね。いま活躍しているジャズ・プレイヤー鉄井孝司さん、今泉総之輔さん、ジルデコのkubota君とか。

 
●ミュージシャン同士のつながりがないと難しい世界ですから、それは良い出会いでしたね。
そこでは、まずミュージシャンの知り合いが増えてきましたね。それと、「プロになる方法」ってどんな学校でも教えられないじゃないですか。僕たちは演奏だけを考えて必死でやってきたわけだけど。在学中にビジネスが好きな人は、結婚式とかパーティーの仕事を取ってきて、自分で会社立ち上げたりしていたけど、そういう人って学生の中ではわりと白い眼で見られがちなんです。「なんだアイツ、商売っ気ばかり」だとか。でも大人になったときに、そうも言っていられないって思いましたけど(笑)。

 
●学校で音楽ビジネスの仕組みを教えることはできても、プロ・ミュージシャンとして成功するためのセオリーを教えることはできないですよね。
誰もが最終的には自分のやりたい音楽だけでやっていけたら一番幸せだと思っているわけだけど、そうは言っていられない(笑)。でも、僕もそうだけど、誰もが天才じゃない。それでも音楽で生きていきたいと思うから、頑張っていますよね。日本に帰ってバイトしてからわかったことですが、どんな音楽スタイルでもいいから音楽に関わって生きていきたいと凄く強く思いましたね。

 
●レコード・デビューは活動の幅が広がるきっかけになりました?
そうですね、名前も珍しいので、「誰だこの人は?」ってなったのだと思いますけど(笑)。色々なライブに出るようにもなって、結構急速に色々な人と出会えることができたと思います。DIWレーベルからは合計3枚のアルバムを出しました。3枚ともオーストラリア録音で、あの頃は予算があって海外まで飛ばせてくれた(笑)。モーションブルーヨコハマでのライブDVDを出して一区切りとなり、そのあとはユニバーサル・ミュージックからリリースするようになりました。


 
●そして、2016年4月、当協会主催の新妻聖子さんの公演では、音楽監督兼ピアニストとして参加していただき、全曲編曲されました。編曲は初めてのお仕事でしたよね?
そうですね。ハードルが高すぎて大変苦労しましたけど(笑)。

 
●続いて、平方元基さん、川島ケイジさんの公演も担当していただきましたね。
やらせていただくうちに自分の編曲のクセみたいなものもわかってきたし、コツを掴むことができたので、初期の頃と比べて作業スピードは俄然上がっていました。
 
●2017年12月に開催した平方元基さんの公演では、曲数が多く、しかも尺が長い曲が多かったですよね。
そうですね。ツアーとか他の仕事をやりながら、船の上や飛行機の中など、あまった時間を全部使ってやりました。とにかく作業時間がかかりますからね。子供の頃、夏休みの宿題を溜めすぎて楽しかった夏休みが全て台無しになったという苦い思い出があって、それを教訓にして、宿題は直ぐに始めるようにしています(笑)。後から修正箇所が出たとしても余裕をもって対応できますし。

 
●2018年1月からスタートした、テレビ朝日系の帯ドラマ劇場「越路吹雪物語」では、劇中音楽の編曲を担当されていましたね。
突然いただいたお話で、短い制作期間で頑張りました。ツアーの前の日に決まって、編曲に必要なPCなどを持ってツアーの各地で編曲作業をしました。平方元基さんの公演の制作期間とも被っていたのでとても大変でしたね。

 
●これまでの経験がそこで活かされたわけですね!
全てのスキルをフルに使ってがんばりました。集大成でした。このお話を受けることができたのも、こんなに早く仕上げることができたのも、これまでの経験のお陰だと思います。アレンジでお困りの方はご連絡ください(笑)。

 
●この「越路吹雪物語」の劇伴を編曲されたということですか?
劇伴ではなくて、越路さん扮する大地真央さんがドラマの中で歌う楽曲ですね。ようするに、越路さんがステージで歌った音源を今回の編成で編曲してドラマで再現する、という内容でした。僕の色も少し加わっています。いま少聴かせてあげますよ。※その場で2曲ほど音源を拝聴

 
●想像以上に厚いサウンドですね。編成は?
ピアノ、ベース、ドラムの他に、バイオリン、ギター、ヴィブラフォン、マリンバ、トランペット、サックス、フルート、クラリネット、オーボエ、トロンボーンですね。

 
●使用されるシーンが決まっていて尺も決まっていた?
いや、「ドラマで使うのは60秒ほどだけ、CDも作るから普通にフルに作ってください」、ということでした。編集はテレビ局でやるので、実際どういうシーンで歌うのかはわからない状況でしたね。全部で6曲です。

 
●そのCDがリリースされるということで、その告知もしておきましょうね(笑)。
ありがとうございます(笑)。発売は3月7日で、カラオケ・バージョンも入っています。

 

今回、初めて越路吹雪さんを深く研究しましたけど、なんかハンパないと思った(笑)。

 
●バンド・メンバーも凄い。ジョージ川口さん然り。
ですね!キューバン・ボーイズのメンバーの方々もサポートしていたのは今回初めて知りました。越路さんのご主人でありピアニストの内藤法美さんの凄さも再確認しましたね。

 
●「越路吹雪物語」の編曲は色々な意味で功を奏しましたね。先ほど聴かせてもらったラテンなアレンジも素晴らしいですね。
やりがいがありますね。チリ人のバンドで南米系の音楽を一晩中やっていた時もあったから、「モントゥーノ(サルサの奏法)を弾いて」とか突然言われてもなんとか対応できる。


 
●先日発売になった最新アルバム「レゾナンス」についてお尋ねします。じっくり聴かせていただきましたが、なぜホール録音を選ばれたのでしょう?
僕が好きな音なんですよね。ホールが好きなんですよ。ピアノには色々な「音」があるので、きっちり収めたいと思うと、遠くに飛んでいる音も欲しいし、近くに鳴っている音も欲しいので、ホールだと録り易いというのもありますね。表現の幅が広がります。

 
●たしかに多種多様な音がしっかりと表現されていると思いましたし、音色としてはローの響きが印象的でした。他のライブ録音盤などでもそうですけど、ホールでは倍音の良さが影響して音に奥行が出てきますよね。
そうですね、ブルーノート作品の中でもあえて倍音をカットする録音とかがあり、それはそれでその良さもあるけども、今回の趣旨といいますかコンセプトはタイトルにあるように「レゾナンス(共鳴)」なので、それは重要ですね。

 
●アルバム中盤から、MOOGやネオヴィコードも登場し、ピアノとの調和によりその意図がより深く感じられます。アルバム全体を通して聴くことによってその表現全てがわかる、というか。
まさにそのとおりです。今の時代ってアルバムを切り売りする場合が多いから、全体を通して聴いてもらうというのはなかなかハードルが高いですが、これは一枚で一つの作品ということで全曲通して聴いてもらいたいですね。映画だと思ってもらえれば。途中で止めないで観て欲しい(笑)。

 
●曲数が多いですよね。
それは映画の場面転換だと思っていただければ(笑)。

 
●もう少し長尺で聴いてみたい曲もありました。
ライブでは長尺でやる曲もあります。ライブとレコーディングでの決定的な違いは、オーディエンスがいるかいないか、なんですよね。よって、CDと同じ曲でもオーディエンスの前で演奏するのとでは違いますよね。CDの音源って録音した日の「記録」であるわけだし、ジャズの良さでもあるのだけど、二度と同じ演奏がないわけだから。ツアーで演奏していくことによって音が色々と変わっていくと思うので、これが最終日の6月6日の伝承ホールではどうなるのだろうって自分でも楽しみです。そういうのを聴き比べてもらうと面白いかなと思います。
 
●使用されているネオヴィコードは珍しいですね。どのようなきっかけでこれを使用されたのでしょうか?
調律師の辻秀夫さんに、神奈川工科大学の西口教授がクラヴィコードというチェンバロよりも古い楽器を現代風に作ったというのでご紹介いただきました。そのネオヴィコードを触ったときに面白い楽器だなと思いまして。民族音楽のような響きもしていいですよね。

 
●6月6日伝承ホールでは、このネオヴィコードも登場するわけですね。
もちろん。大きい機材なので全国ツアーでは持っていける箇所が限られてしまいますが、ツアー・ファイナルの東京公演では、機材全て入れて演奏します。

 
●演奏曲は全てアルバム「レゾナンス」から?
新曲やスタンダードなども演奏したいと思います。当日は色々な曲がサプライズで登場する予定です。

 
●お話を聞いているうちに、何か別のコンセプトもあるように感じました。
音的なものは先ほどお伝えしましたが、内容としてはこのアルバムが「自分の区切り」なんですよね。日本に帰って来てからアルバムを色々作ってきて、わりと「ワー!」と突っ走ってきました(笑)。前回のソロの録音からしばらく経っているし、その後にもソロ・ライブをかなりやっていて、自分のソロ・スタイルを掴めてきたので、一度ここで音に残したかった。これまでの集大成として今回の「レゾナンス」を録った後、また違う方向へ行けるかなと。次にどう動いていくのか楽しみにしてもらえると嬉しいです。


 
●今後の活動は?
トライソニークとして6月後半に東名阪のツアーがあります。トライソニークはライフワークなので、定期的にやってきたいですね。

 
●ソロ・ツアーはしばらくないということですね。
今回のリリース・ツアー以降はまだ予定はないですが、未だ行けてない所があるので、またツアーを組む予定でいます。既にもう一枚アルバムを作れるぐらいの新曲の構想は出来ています(笑)。

 

インタビュアー:Yasuo Fukuda

 



Hakuei Kim(ハクエイ・キム)/1975年京都市に生まれ札幌市で育つ。日韓クォーター。5歳からピアノを始める。シドニー大学音楽院卒業。2005年にDIWより「Open the Green Door」」でインディーズデビュー。同レーベルより3枚のアルバムをリリースする。2009年にピアノ・トリオ 「TRISONIQUE/トライソニーク」を結成する。2010年には渡辺貞夫の『Sadao with Young Lions』のツアーに参加。
2011年にユニバーサル ミュージックより「Trisonique 」でメジャー・デビュー。札幌シティジャズフェスティバル、香港インターナショナルジャズフェスティバルに出演する。TV東京全国ネット『美の巨人たち』のエンディングテーマを担当し、クリスタル・ケイや綾戸智恵のアレンジ、レコーディングに参加した他、日韓合同制作の映画『道~白磁の人~』のエンディングテーマを担当した。2012年にソロピアノアルバム 「Break the Ice」、DVD 「Solo Concerts」をリリース。2013年には 「A Borderless Hour」をリリース。2015年にジャズの名門「Verve」レーベルより韓国伝統音楽ユニット「新韓楽」とのコラボレーションアルバム「HANA」をリリース。
2016年には自身のピアノトリオ「Trisonique/トライソニーク」で米国、デトロイトインターナショナルジャズフェスティバルに出演し現地オーディエンスやメディアの絶賛を浴びる。
2018年1月には約6年振りとなるソロ・ピアノアルバム 「Resonance/レゾナンス」をリリースする。現在、国内外を問わず精力的に活動を続けている。
Website : hakueikim.jp(ユニバーサルミュージック)
Instagram : www.instagram.com/hakueikim/


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