インタビュー Vol.48
美貌と品格とシュガーヴォイスでジャズに市民権を与えてくれた大スター★
阿川泰子


 
●文学座で演劇を学び女優さんからジャズ歌手に変わられたきっかけはなんでしょうか?
私が映画やテレビなどのオーディションを受ける先々で声が大人っぽいということで娘役が落ちることが多くありました。ある時ジャズ関係の人が審査員にいらして、「声がジャズにむいているから」と。その声をかけてくれた方が昔クラリネット奏者の鈴木章治さんのマネージャーをしていらしたとのことで、オーディションに落ちているなら、時間があったら鈴木さんのお店に連れていくよと言ってくださって。曲を聴いてみたら結構知っていて、徐々に歌えるようになりましたね。鈴木章治さんの銀座にあったお店ですね。遊びに来る人は、松崎龍生さん、ジミー竹内さん、松本英彦さんとか有名な方ばかりでした。実はその方たちも毎日伴奏してくれて、それは豪華でした。銀座で高いお金をだして来て下さっているお客さんには素人と言わないで、私を紹介する時には「女優さんがわざわざ来てくれているんだ」ということになりまして(笑)。そこの出演者方がほかの店でも3曲でいいから歌いに来なさいと言ってくれるようになって、そのうちスケジュールを書き込む手帳が真っ黒になり、そして、ニューオータニの中のバー“カプリ”のオーディションに受かって、レギュラーになり、それがデビューなんですよ。映画やドラマのお仕事をいただきながらも歌い続けて、そのうち歌の方が楽しくなって。18時から21時までホテル・ニューオータニで歌って、そのあと朝まで六本木のお店を4軒ぐらい掛け持ちしてました。

 
●ひっぱりだこだったわけですね。
当時ジャズを歌っているシンガーも少なかったから、みんなが紹介してくれてお仕事が増えていきましたね。そして、ビクターの方がジャズ・ピアニストの有馬すすむさんとレコードをつくりましょうって話をしてくださって、作ることになりました。ほんとにラッキーでしたね。

 
●その時は本名で活動されていたのですか?
映画の方の芸名から、歌手でデビューすることになって、シンガーらしい芸名に変えることになり、ジャズの人は半分カタカナの人が多いから、ヘレン阿川とか案があったりしました(笑)。色々とありましたが結果的に阿川泰子になりました。

 
●そしてデビューですね。
1stアルバムは有馬すすむトリオでデビューしました。ジャズクラブでご一緒させていただいたときに、毎回キーをメモしていてくださっていて、一緒にジャズのレコードをだそうよ、と言ってくれたのです。そしてとあるときに、有馬さんがビクターの方を連れてきてくれたという経緯です。

 
●最初のステージはどこで、その時にお歌いになられた曲は覚えていらっしゃいますか?
「ダニーボーイ」ですね。ホテル・ニューオータニでデビューする前に、鈴木章治さんのところで1年ぐらい歌っていましたけど、一番先に覚えるのは、ジャズの曲ではなくて誰でも知っているシンプルでそしてロングトーンがある曲がいいよと言ってくださって。それはどんな時にでも役に立つから、と。そして何年かしてから、サラ・ヴォーンとかを聴きなさい。これ以上の歌い方はないと思ってしまうから。聴くならシンプルに歌っている、フランク・シナトラとかペリー・コモとか男性の曲のキーを聞きなさい、と言っていただき、確かにそれは正しかったなと今思いますね。

 
●それは本当に適格なアドバスだったわけですね。
そうですね。色々な方を見てきたからじゃないですか。レコード・デビューが決まった時も「僕たちはこの子を大事にしてきたから、君たちがひどい目にあわせないでください」と、レコード会社の方に言ってくださった。凄い紳士な方だったなと思いますね。大変感謝しています。

 
●あの当時スタープレイヤーも沢山いらして、ジョージ川口さん、松本英彦さん、世良譲さん、笈田敏夫さんなど。
ある方から「ジャズ・ヴォーカルが少ないので君が来てくれてジャズ界が明るくなった」と言ってくださって嬉しかったですね。初めてニューオータニのレギュラーが決まり鈴木章治とリズムエースで3曲ほど歌うという仕事が入ったときに、ウルトラマンの撮影で一週間ロケの仕事が重なってしまい、とても悩みましたがウルトラマンレオの最終回で女神の役で楽しそうだったし、歌はまたあとで歌えるけど、こういう役はなかなかないと思い、受けました。もちろん代役をたてないとならなくて、先輩のシンガーなどに電話してお願いしました。ウルトラマンの撮影は凄く楽しくて(笑)。苫小牧フェリーが協賛してくれて、二本立てで結構面白い回だったんです。怪獣が私を殺そうとしてウルトラマンが私を助けてくれるシーンで(笑)。忙しかったけど楽しかったです。いま考えると出演させて頂き良かったなと思います。

 
●ラッキーなこと続きですね!色々な方々に支えられてきて今日があるのですね。
ジャズではビッグバンド・シーンが大好きでした。グレン・ミラーなどでシンガーが髪に花をつけて袖で出番を待ってる、ああいうのに憧れていましたね。曲の途中でキーが変わって「なんとか姫です~、どうぞ!」と呼ばれて舞台に出ていくような。もともと映画女優でジャズを歌う人になりたかったのです。ジュリー・ロンドンのように。それでちょっと違ったけど表現の世界でこっちがあっていたのかなとは思いますね。

 
●人生エンジョイですね。
ラッキーでした。しかし夜中の12時に六本木の灯りが消える時代がやってきて、12時以降は3時までラジオ関東の深夜番組で鹿内孝さんパーソナリティのアシスタントをやらせて頂きました。やがて六本木も華やかさを取り戻しましたがライブハウスが少なくなりましたよね。私はたまたまクロスオーバーやフュージョンでデビューしたのでそっち方面で道が開けたというのもありますね。そのころはスティービー・ワンダーやダイアナ・ロスなどが流行っていたので、こういう方が君にあっているよと有馬さんがおっしゃってくださいました。

 
●ジャズといえば売れるCDはインストルメンタルが中心の時代でしたが、ジャズ・シンガーという地位を確立され、阿川さんのデビューアルバムから4年間で6枚のCDが90万枚も売れ、ジャズとしては異例の爆発的ヒットを飛ばし、ジャズ・ブームを作られた第一人者だと思いますが。
ほんと勢いですよね。そのころからジャズ・シンガーもポップスを歌うようになったと思います。当時はボサノバも歌っている人は殆どいなかった。いまではボサノバはみんな歌ってますし定着しましたよね。

 
●アレンジャーでお仕事をご一緒したのが多い方は?
鈴木宏昌さんが多いですかね。ドラマーの村上“ポンタ”秀一さんとか新しいものを取り入れたり。



 
●1987年からテレビの「オシャレ30・30」(1987 - 1994年 日本テレビ)では古舘伊知郎さんと絶妙なトークもさることながら、阿川さんの美しさを世に広めて、益々ジャズ人気に火をつけてくださいました。
あの番組は大きかったです。ジャズを知らなかった方が、家族でライブに来てくれるようになりました。全国、行く先々で家族連れが増えました。番組が7年も続いてラッキーでしたね。

 
●トークのかけあいが絶妙でしたね。台本はあるのですか?
勿論、事前に綿密な打ち合わせがありまして、古舘さんはきっちりと段取りなどの内容をかためているのですが、私がぶち壊す(笑)。そんな、古舘さんが「えっ!」となるところが面白いんだと言われていましたね。形通りに上手くいくというのがつまらないと言いますか。脱線させるところがいいんだよ、と言われた。いまだに地方にいくと、古舘さんとテレビ番組に出てましたね、って声をかけられますね。

 
●最後に1曲歌うのも素敵でした。
あれでレパートリーがかなり増えました。最初は3ヵ月という短い期間のお話でした。なのでチャレンジのつもりでやっていました。自分のなかでは毎週新しい曲をやるのは大変でしたね。「ムーン・リバー」などの映画音楽やビートルズ、カーペンターズなど、そういうリクエストもあったので幅が広がっていきました。

 
●ファッションも楽しみのひとつでした!
視聴者からのお葉書で「ロングではなくてPTAなどの集まりで普段着ていけるような衣装を希望」など、女性からのリクエストや衣装の問い合わせがありましたね。テロップでブランド名を出したりしていました。この番組で使用した譜面と衣装は宝物なので、大事にしています。

 
●ステージ衣装のドレスも毎回とても豪華ですが、お好きなデザイナーさんはどなたですか?
自分でデザインしたりしていましたが、作るのは有名な先生でした。

 
●まさかオートクチュールとか…。
オートクチュールですよ。

 
●海外の好きなデザイナーは?
ジョン・ガリアーノ、バレンチノ、ディオールなどが好きでしたね。

 
●阿川さんに続くジャズ・シンガーが他にいないですね。
私はラッキーなことに良い波に乗らせていただきましたが、波って浮き沈みがあるので、何でもやりたいことをやろうと思ってきました。また、家にジャズのレコードが沢山があったのも活かされていると思います。母がジャズ・ミュージシャンのおっかけで、ジョージ川口さんや松本英彦さんをおっかけしていたそうです(笑)。父はクラシックが大好きで、下宿していた大学生や父の弟たちが勉強の合間にレコードを聴いていました。そのおかげで今があるのだと思います。

●この本「ウィ・ガット・メール 恋をするなら」凄くユニークで面白いですね。



※音楽評論家・吉村浩二氏との著作。ラブ・スタンダード・ソング40曲の解説や様々なエピソードをつづったエッセイ集。
早川書房 (2003年)


これ便利ですよね。この曲の代表的なアルバムは?ということを先生に書いていただき、私はおしゃべりとかを書くから、と言って二人で書きました。一か月ぐらいで書きましたね。早川書房さんにも凄く感謝しています。

 
●こちら「ECHOES」(写真・エッセイ・イラスト集)でも詩を書いていらっしゃって。



※自身による写真、エッセイ、イラストといったクリエイティヴ・ワークが満載のヴィジュアル・ブック。
写真家・郡司大地氏によるフォトセッションも収録。ビクターブックス (1996年)

これをみて、書けるじゃない!となって、さっきの本をだすことになりました(笑)。私が写っていないのは私が撮ったのです。その頃、立木(義浩)先生の「BSジャズ喫茶」に何度か呼んで頂いて、そこで、「今、ロサンジェルスで写真を撮り出したら面白くなって…」と話しましたら、楽なカメラでカラーを撮るのはやめて一眼レフで白黒を撮りなさい、中古で良いから手のサイズと目のサイズにあうものを選びなさい、買うとき見てあげる、などと色々とアドバイスしてくださって、一眼レフを買ったのです。そうして撮るうちに白黒の写真集に載せてくださったり。結構な枚数を撮って全部自分で焼いていたら破産するよ。だから僕たちはプロになるんだよ、って(笑)。

 
●一流のプロの方々とのつながりが凄いですね。
色々な接点が結びついていっていますね。先ほどのテレビの「オシャレ30:30」は、資生堂一社の提供でもともと昼の番組で久米宏さんと楠田枝里子さんが出演してらしたのですけど、その当時私は資生堂のゾートスサロンという美容室でポスターの仕事とかをしていて、資生堂の方が私を推してくれたんですよね。写真だとツンツンとしているけど喋ると面白いよって。古舘さんと絡めたら面白いんじゃないかって(笑)。

 
●好きな男性のタイプは?
結構冷たい人が好きだったのですよ。だんだん大人になってきたら、クールな人はやっぱり冷たいから、やっぱりあったかい人がいいかなと(笑)。私がおしゃべりだから、話を聞いてくれる人がいいかな。それと面白い人がいいかな。

 
●どんな感じがお好きですか(笑)。
うーん、野球選手とかお相撲さん、一生懸命してる人が好きですし、色々ですね(笑)。

 
●最近、若手の気になるジャズ・ミュージシャンはいらっしゃいますか?例えば共演してみたい人とか。
うーん、最近の若手は元気がないですよね。みんなお行儀が良すぎる!パワフルな人がいいですね。昔はしょっちゅう明け方まで飲んでいましたよ(笑)。



 
●健康管理は?
食事のときは飲んでます。

 
●その美貌を維持するために心がけていらっしゃることは何でしょうか。
うーん、財産でもあるドレスをいつまでも着られるようにキープしたいので、できるだけ歩くようにしています。駅のエレベーターはなるべく乗らないように。日焼けはしないようにしています。旅では水着を持っていってホテルの室内プールで泳いだりします。

 
●阿川さんが1日のうちでいちばん幸せを感じる時はどんな時ですか?
あまり考えたことないですね。これから寝ましょ!っていうときかな。2匹のペットの猫もわーいわーい寝るぞ!って寄ってくる。

 
●ビッグバンドフェスティバルを聞きに来てくださる全国のビッグバンド・ファンに一言ご挨拶をお願いします。
ビッグバンドをしらない方にも来てよかったなと思ってもらえるようにしたいですね。ビッグバンドは楽器が多いのでこのコンピューター音楽ではない音のバランス、アンサンブルを楽しんでもらえたらと思います。歌のメロディーと伴奏の和音の厚さがビッグバンドの醍醐味です。

 
●阿川さんにはビッグバンドが一番お似合いだと思うのですが、今まで一番多く共演されたビッグバンドはどなたですか。
原信夫とシャープス&フラッツ、高橋達也と東京ユニオン、森寿男とブルーコーツですね。またあの頃のような華やかな時代がきて欲しいですね。社交クラブのようなダンスホールができて欲しい。そして、これからはもっと大人の歌手になりたいと思います。ジャズはアレンジでいかように変化できるので、自分の表現力で曲を表現していけるようにしたいですね。


美人ジャズ・シンガーの代名詞とも言える阿川泰子さん。いつお目にかかっても清楚な美しさを身にまとい、その品格のオーラは永遠の憧れのスターです。阿川さんの出現によって、ジャズを聴いたことのない人たちにジャズを身近に感じさせてくれ、ジャズは難しい音楽ではなく、楽しい音楽なのだと広めてくれた大功労者だと思います。私も阿川さんのレコードを磨り減る程聞いて阿川さんのコピーをしていた時代があります。あれから数十年過ぎたいま、阿川さんのようなエレガントさを兼ね備えたジャズ・シンガーが見当たらないのが残念です。ビッグバンドが大好きだとおっしゃる阿川さんがどんなステージを魅せてくださるのか、本番は私も一ファンの気持ちになって客席で聞かせていただこうと思います。

 
インタビュアー:佐藤美枝子
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