インタビュー Vol.37
妖精のように舞い降りたミュージカル界のシンデレラ Pt.1
宮澤エマ


 
●昨日は「ビートたけしのTVタックル」と「わたしは訳あり成功者~ドン底からの逆転学~」を拝見しました。バラエティやコメンテーターなどもこなされ、ミュージカルでも大活躍の宮澤エマさん。昨夜の番組のブルーの衣装が素敵でした。
ありがとうございます。スタイリストさんが選んでくださいました。いつもは私服が白いのが多いかもしれないですね。

 
●可愛いからお美しくなられて大人の女性って感じですね。いつも爽やかで。ストレスを感じることはありますか?そういう時はどのように解消します?
もちろん、ストレスを感じることはあります!そういう時は、家に帰ってセリーヌ・ディオンとかの凄く悲しい号泣ソングとかをかけて、大熱唱して泣く(笑)。発散になりますね。

 
●そういう時はしらふですか?
飲んでいる時もあります(笑)。主にワインが多いです。

 
●先日、グラミー賞の受賞式を観にロスへ行ってこられたそうで。ブログにもビッグバンド・フェスティバルのことを書いていただきありがとうございます。
弾丸で3泊5日ぐらいでした。お知り合いの方が3、4年連続で観に行ってらっしゃっていて、今回誘われて行って日本の音楽プロデューサーの方々と行ってきました。久々のロスでした。なんだか日本とは、太陽の感じとか違うし、肩の荷がふぅっと降りる感じとか、音楽をいっぱい聴いて、トップレベルのパフォーマンスを見て、上には上がいるなって改めて思いましたね。凄いなって思って頑張ろうって思って帰ってきました。

 
●本番に向けての一日のルーティーンとか決めていらっしゃいますか?
舞台をやっているときは、長期間拘束されるので、規則正しい生活になりますね。逆にテレビですと朝収録だったり夜遅くまでかかったり時間が不規則になりリズムが崩れるので、舞台中と舞台が終わったあとの生活のリズムに慣れるのに時間がかかりますね。本当はルーティーンは決めたほうが良いとは聞きますよね。私は、風邪防止のためにネルネルというテープを口に貼って寝ているのですが、寝ている間に口が開いちゃうと乾燥して風邪を弾きやすくなるので、朝起きてまず、そのネルネルのテープをとって、うがいをして、お水を一杯飲んで、声を少しだして、朝ゴハン食べて、湯気が喉に良いのでシャワー浴びながら発声して、そして劇場に入ってからまたストレッチをして発声する、ということはやっていますね。

 
●舞台のお仕事は肉体労働ですよね。
アスリートみたいだと思います。ちょっとアドレナリンが分泌されている感じがして。終わったあとに飲みに行きたくなるのは、高揚しているので一杯飲んで少し落ち着きたいという生理現象なのかも。家に帰って一人で飲んだりもしていますよ。お酒を飲むと血流が良くなるので、おしゃべりしちゃうと喉に負担がかかっちゃうので、小さい声でしゃべったりして気をつけています。

 
●一人で家で飲んでいるって感じがしないですね(笑)。長丁場の舞台で、メンタル面やコンディションのケアなど、健康管理などはどのようなことを気をつけていらっしゃいますか?
「シスターアクト」に出演していた時は、声が高くて大変だったので、喉を休ませるためにできるだけ声を出さないようにして、親とは筆談したりしていました。親が私に話しかける時、こそこそ話だったり。耳は聞こえているから普通に話をしてもらっても問題ないんですけどね(笑)。朝一の電話は良くないって聞きますが、もっとストイックな人がいますよ。でも、あまりに考えすぎると鬱っぽくなったりするので、そのバランスを考えて大切にしています。


 
●エマさんといえばまさに才色兼備、華麗なる一族のもと、凄いDNAを受け継がれていますが、そもそもミュージカルをやるきっかけは?
実は姉と比べたら内向的な方でしたが、歌とお芝居は小さい時から好きで、小学校の時に演劇部に入っていました。漠然と歌やお芝居をやりたいと思い始めて、中学、高校あたりでは歌にのめり込んでいて、でも大学には行きたい、と。大学へ行ってもし他にやりたいことが見つかれば、諦めてそれまでと思っていたのですけど、最終的には日本に帰ってきてから本格的にやってみたいと思っていました。でもその時は自分でもミュージカルをやると思っていなかったです。ミュージカルは子供の頃から凄く好きでミュージカル映画をよく観てましたし「アニー」、「サウンド・オブ・ミュージック」やディズニー映画は親がノイローゼになるかと思うくらい繰り返し繰り返し観てました。

 
●劇場には行かれていたのですか?
ニューヨークのおばあちゃんに会いに行く時に、ご褒美としてミュージカルを1作品、観に連れていってもらっていました。姉は「レント」を観に行って、私は子供だったので「ザ・ミュージックマン」を観に行ったり。でも、私には歌って踊って芝居するは無理だと思っていましたね。ミュージカルのきっかけとしては昔、宮本亜門さんの弟さんと高校時代にグリークラブという合唱部で一緒だった頃に一度、宮本亜門さんに歌を聞いてもらったことがあって、まだデビューして間もない頃に、私が芸能活動をしているということを知って下さっていたようで、「もしまだ歌をやっているのだったら一度オーディションを受けに来ない?」と誘って頂いて、オーディションを受けたことです。

 
●それは何歳の時ですか?
23歳ですかね。

 
●それはちょっと前のことですね。それでいまは主役級のお仕事をされているわけですから。運をつかむのも才能ですよね。
私は、舞台を始めてまだ3年ぐらいなのですが、すごく小さな役から始めて、アンサンブルなどをやって修行されてきている方に比べたら、たまたまオーディションに呼んで貰えたっていうことがとてもラッキーだったと思っています。そして、出させていただいた舞台が凄く良い作品でしたし、素晴らしい共演者の方がいたからこそ、そんな私を観て「オーディションに来ませんか」、とか「こんな役やってみませんか」など次に繋がっていったのも良い作品に繋がってったのが大きいので、ミュージカルに関してはほんとに縁と運のお陰だと思っています。


 
●小中高が日本で、大学がアメリカとイギリスだったのですか?
中高が日本のインターナショナルスクール、大学2年までアメリカで、(オクシデンタル大学で宗教学を専攻)大学3年の時にイギリス(ケンブリッジ大学へ留学)、そして卒業後は日本に戻ってきました。

 
●アメリカ、オクシデンタル大学はオバマ大統領も通っていた大学ですね!
でもオバマさんは2年で転校されているんですよね(笑)。

 
●その学歴、経歴を聞いただけでも一般とはかけ離れていて…。ご褒美としてブロードウェイでミュージカルを観させてもらえるなんて、私のまわりには一人もいませんよね(笑)。
逆に、日本でミュージカルを観たことは2回しかないんですよ。「アニー」と「葉っぱのフレディ」とこの2作品くらいですよ。日本でミュージカルをやるにあたって、もっと観なきゃって。日本で舞台を観に行くという習慣がなかった。日本で舞台文化が盛んだと思っていなかったですね。

 
●音楽が好きになったのはご家族のどなたの影響ですか?
父は音楽がすごく好きでビートルズとか沢山聴いていたのですけど、母はクラシックが好きでしたね。中学のときにマライア・キャリーやホイットニー・ヒューストンなどのディーバ系と言われるものに出会って、こんな歌い方があるんだと思って、凄く影響を受けて真似をしていました。そこでブラックミュージックを遡っていくとブルース、ソウル、ジャズとかに導かれた流れですね。それと姉がジャズが大好きだったというのもあり、その影響もあってジャズを聴き始めたというのもあります。祖父はクラシックがすごく好きでしたし、叔父がフルート奏者だったり、父の母(祖母)はもともと舞台女優になりたかった人だったり、宮澤家の方には芸術系、芸能系はいなく、ラフルアー家の方はオペラ、ジャズなどの音楽系が色々いますね。もしかしたらそっちの方の血が色濃くでたのかなと思います。

 
●外交官でいらっしゃるお父さんはフランス人?
フランスとカナダ人系のアメリカ人ですね。

 
●シャンソンとか聴いてました?
シャンソンは歌えたら素敵ですね!私はピアフを聴いたことがあるくらいですね。

 
●さっき「アニー」とおっしゃっていましたが、ビッグバンド・フェスティバルに出演する森口博子ちゃんも出演していましたね。ちょっと意地悪な施設の院長ミス・ハニガン役で(笑)。エマちゃんはアニーとか行けるかもですね!
身長的にまだいけるかな…。私、小さいので舞台
を観た方が「あの子役、がんばってたね」って言われたことあります(笑)。


 
●よく聞かれると思いますが、元首相だったおじいちゃんとの思い出は?
おじいちゃんのことは沢山思い出がありますね。私が18歳の時に亡くなってしまったのですが、物心ついてからは凄く忙しい時だったのでもっとお話をしたかったですね。基本的にとても優しくて、一緒にいるときは私にとっては普通のおじいちゃんでした。

 
●たまごっちを買っていただいたそうで…(笑)。
そう!後にも先にも一緒に何かを買いに行くというのは、アレしかなかったかもです。たまたまお休みだったんです。「誕生日プレゼントを買いに行こう」ということになって、原宿のキディランドへたまごっちを買いに行ったのです。

 
●そのときSPさんはいらっしゃいました?
います。なんか不思議ですよね。おじいさんに二人ぐらい男性が横に付いていました。原宿の街を歩くとモーゼの十戒のように人がはけてく(笑)。握手を求めてきたりとかしていましたね。おじいちゃんのことをグランダートって呼んでいたのですけど、「グランダートって凄いんだ」って、当時7歳ぐらいだったのですけど思っていました。一緒に何かするっていうことが少なくて、家族でハワイへ行ったのは1回きり。軽井沢は何度か一緒に行ってましたけど。あと、トランプとかの勝負事とかでも、姉が負けて泣いたとき「泣いたら全てが済むと思うんじゃない」と怒っていましたね。孫とのトランプも真剣勝負って凄いなって(笑)。でもいつも笑っているイメージです。私は怒られた思い出はないです。

 
●瞳がとてもとても柔らかく優しい感じの総理でしたよね。
たまに目が似てるって言われます。

 
●ご両親からは例えば、弁護士さんとか、政治家とかを進められませんでしたか。
ないですね。「歌をやりたい」と言ったとき「大学に行かないで歌をやりなさい」と言っていました。政治家の後を継ぐというような流れはなかったのですが、ただ「働かざる者は食うべからず」という家訓としてあるような家庭なので、何をやろうとするにも反対はしないけども、自立できるのであれば自由になれるよと教えてもらいました。そういう道はなかったかなと思いますけど、結局は運が良かったなと思います。


 

インタビュアー:佐藤美枝子
カメラマン:Koji Ota
 
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