インタビュー Vol.32
人生を慎ましく真っすぐに美しく演じる唯一無二の俳優
倍賞千恵子


 
●これまでジャズを中心にラテン、シャンソン、タンゴなどを手掛けてきましたが、今回歌謡曲をテーマした公演は初めての開催になります。倍賞さんにご出演いただけますこととても光栄です。そして緊張しております。倍賞さんにとって幼少期の昭和とはどんな時代でしたか?
生まれたのは戦前の東京ですが、茨城に疎開して、幼少期の記憶は、晩ご飯にタニシを取りに行ったり、渋柿を屋根の藁に入れたり樽柿にしたり、時々自分の柿を入れた場所がわからなくなり妹と喧嘩したりしました(笑)。

 
●倍賞さんといいますと「女優」さんというイメージがありますが、どの作品をとっても代表作といえる作品ばかりなのですが。。。
やはり、寅さん(「男はつらいよ」)ですかね。寅さんだけで27年間のうち48本出演していますが1970年に公開された「家族」という映画も好きですね。

 
●倍賞さんがご出演になられた映画170本のうち65本が山田洋次監督作品で、主演女優と監督との信頼度の強さはほかのどの俳優さんをみてもいらっしゃらないと思います。
そんなにありますか~(笑)。

 
●本数をあまり数えたりしないのですね。
そうですね。あまり過去を振り返らないです(笑)。



 
●本当に色々やられて、宮崎駿監督の「ハウルの動く城」では声優もなさって、しかも主題歌「世界の約束」も歌われていらっしゃいます。意欲的に新しいことにチャレンジされていらっしゃる倍賞さんですが、デビューは歌手だったのですね。
小さいときに、みすず児童合唱団で童謡を歌っていてポリドールというレコード会社で童謡歌手として歌ったり。唯一レコーディングした歌が著作権の問題でだせなくて。。。「かもめかもめ」ですけどね。それからしばらく歌ってなくて、SKD(松竹歌劇団)に入って、その時に映画に抜擢されて。二年映画の主題歌とか挿入歌なども歌わせていただく機会をいただきまして。その時に「下町の太陽」を歌ってヒットして映画化になりました。

 
●「下町の太陽」では歌手としてもデビューされ第4回日本レコード大賞も受賞。NHK紅白歌合戦にも4年連続出演という華麗なる芸能生活のスタートだったと思いますが。
あのころは歌がヒットすると映画化される時代だったのね。「さよならはダンスの後に」も歌がヒットして映画化になって。その時に脚本と監督が山田(洋次)さんだったのですね。それが初めて山田さんとのお仕事でした。

 
●本当に凄い歴史ですよね。しかもトップを揺るぎなく。屈折というのが感じられないですよね。
「くたびれたな~」という時期はありましたが、そんな時に都民映画賞をいただいたりして何とか続けていくことができましたね。

 
●長い長い年月、山田洋次監督との絆は一言では言い表せないと思いますが。監督とはプライベートのことも知り尽くしているとか?
いやいやそんなことはないですね(笑)。映画の撮影が終わるとほとんど会わないですね。「男はつらいよ」は約2か月ぐらい撮影するのですけど、終わると余程のことがないとみんな会わなかった。みんなそれぞれの生活がありますからね。でも1年後ぐらいに次の撮影で会うとみんなで「元気だった!?」って(笑)。それがかえって新鮮だったのだと思う。その会わない間は、病気しないで元気でいようって頑張れますね。



山下久美子さんと倍賞千恵子さんのリハーサル風景

 
●さくらさんの出逢いって一生の宝物ではないでしょうか。さくらさんは、日本人女性の鏡みたい。健気で謙虚で。倍賞さんからご覧になられたさくらさんと倍賞さんの似ているところはどんなところでしょうか。
実際とは違うのではないでしょうか(笑)。さくらさんは慎ましいですし。ある時、山田監督がさくらさんのアパートを撮っているとき、ミシンの上に文庫本が置いてあったのです。そしたら山田監督は「さくらさんは文庫本も読むんだよ」とおっしゃっていて。やさしいですよね。日本人女性は「こんな風になれたらいいんじゃないかな」っていう憧れでもあったと思いますね。

 
●倍賞さんもさくらさんに憧れていた?
憧れますね。私の中にあるものもさくらさんにあるけれども、それを通してさくらさんを演じていたわけだから、私の中にもあったのでしょうけど(笑)。

 
●高倉健さんとも「幸せの黄色いハンカチ」や「遥かなる山の呼び声」などでも共演されたり、どの作品もみんな代表作になるような、素晴らしい作品ですが、今の世の中、毎日残虐な事件が多いですが、素朴で人情味がある作品をまた山田監督と一緒に作っていただきたいと思っています。
でも「男はつらいよ」は渥美さんがいないから作れないですよね。残念ですね。

 
●なんで「男がつらいよ」というタイトルだったのでしょう?
いやー、それはわからないですね、山田さんに聞いてみないと。私、よくイベントでのトークで「女もつらいよ」ってやりますよ(笑)。



リハーサル風景:(左から)平方元基さん、山下久美子さん、倍賞千恵子さん、水夏希さん、彩吹真央さん

 
●先日お亡くなりなられた川島なお美さんが、倍賞さんが憧れの女優であり憧れのご夫婦だとおっしゃっていましたが、逆に倍賞さんはが憧れた女優さんはどなたでしょうか?
私、キャサリン・ヘプバーンが好きでしたね。日本の俳優では思いうかばないな。昔は大輪の花とか薔薇とかユリとか、そういうイメージの俳優さんが多かったけど、私は下町からでてきたそのへんに咲くたんぽぽのような庶民派のイメージでしたので、ある時期から私は誰にも似ない俳優になろうと思いましたね。普通の俳優さんとは違う俳優を目指していました。ある時、布団をたたんで上げながらセリフを言うシーンがあって、「ほんと上手ね!」って言われたことがありました(笑)。普段の生活にあったかもしれないけど。たしか東芝日曜劇場のドラマでした。働きながら表現することが山田さんの映画には多かったです。それもあって、その仕事ができないとセリフが言えないから、酪農でのシーンとかでは乳搾りなどを学んでから演じてました。そういうの好きなんです、私(笑)。

 
●ちゃきちゃきの江戸っ子ちゃんでいらっしゃって、いまは北海道に拠点を移されていますよね。
夏と冬は北海道へ行っちゃいますね。夏の大半は北海道で過ごしています。最初は冬が好きで、そこから始まったのですけど。仕事があるときだけ時々東京に戻ってくる。

 
●それは気持ちの切り替えとかでそうされたのですか?
うん、それもありますね。最初、8月はなにも仕事しないと決めていたのですけど、つい仕事を頼まれると戻りますね(笑)。そうすると北海道でやっている蕎麦打ちとか陶芸とかが全部、中途半端に終わっちゃいまして(笑)。今度は陶芸が中途半端にならないよう、8月は何も仕事をしないようにしようと思っていますけどね(笑)

 
●携帯電話などを置かない事ですよね。
そうですね。いまは近いですからついね。ドア・トゥ・ドアで3、4時間ちょっとで行けちゃいますからね。北海道にちょくちょくお客さんが来ますね。ひっきりなしに(笑)。北海道の自宅でパーティやったり、人が好きだから楽しんでますね。

平方元基さん、水夏希さん、倍賞千恵子さん、彩吹真央さん

 
●何年前からそのようなライフスタイルにされたのですか。
かれこれ20数年ぐらいですかね。

 
●ご主人の小六禮次郎さんとご一緒になられてからですか。
そうですね。一緒に北海道に家を建ててからずっと来てますね。最初のうちは3日でも良かったのですけど、どんどん物足りなくなってきて(笑)。

 
●小六さんは作曲をされるかたですから、キーボードがあればどこでもお仕事はできますものね。
そうなんですよ。彼は作曲家だから向こうでも譜面を書ける。私は自分が移動しないといけないから、今後は完全にシャットアウトしないとお休みにならないかなと思っていますね。

 
●今年みた映画「愛を積むひと」で、夫婦愛を描いた作品で、佐藤浩一さんと樋口可南子さんが出演されていて、北海道へ移住される内容だったのですが、本当に北海道って自然が雄大で人間が小っちゃくみえます。
毎日が元旦のように朝陽を見たり(笑)、日が沈むのをみたり、雷がなったり、草木がなびいたりしているのをみているのが楽しいですね。

 
●倍賞さんが昨年6年ぶりにご出演された映画「小さいおうち」を拝見致しましたが、冒頭のタキおばあちゃんの遺影からでてくるシーンにはビックリしました。この作品もとても感動しました。タキさんを可愛らしく演じていらっしゃいました。あのときも良いセリフが沢山ありました。倍賞さんが泣きながら言うセリフ。
「わたしね、長く生き過ぎたのよ」ですね。

 
●そう!このときどういうお気持ちでしたか?
山田監督に「本当に私が言うのですか?」って言って、でもタキさんは長く生きすぎてしまって、色んなことへの後悔とかがあって、だから戦争中に自分が死んでいればこんな辛い思いをしなかったという、心の重さを凄く感じるセリフでしたね。そんな山田監督が「俺も長く生き過ぎたかな」って。「え!だめですよ!監督はこれからも作らないとダメですよ」って言いました。

 
●まだ83歳ですね。どこからあのバイタリティが。。。
山田監督って人間の見方を色々と持っているので、「もっともっと(世に出したい)」というのがあるのでしょうね。山田監督に教えていただいたことで、お芝居と歌と両方やっていて、歌に反映していました。勉強になったことは、山田監督から言われたことがあるのですが、セリフは歌うように、歌は話すように演じるようにと思って歌いました。

 
●米倉斉加年さんが恭一さんの役をされていましたが、同じセリフを言ってらっしゃるのですよね。感慨深いです。あの後、米倉さんが本当に旅立たれて。。。
そうですよ。。。米倉斉加年さんの時も弔辞を読ませていただきました。悩んでいたときは米倉さんに相談して力になってもらいました。舞台とかやっていると自分の役の解釈がわからなくなったりして。そんなときは米倉さんに相談してたりして。初めて演劇をやったとき恋人役で一緒になって、物凄く楽しかったのですよ。私は新劇とか演劇の学校へ行っていなかったから、色々と話を聞いていると「劇の人って凄いなって」思いましたね。でも私は私の演じ方があるし、と思えるようになった。前田吟さんも俳優座でしたよね。彼からスタニスラフスキーとか教えてもらって、本を読んで「これはこういうことかー」って勉強しましたよ。

いまも輝く昭和のスタンダード・ソングスでは懐かしい歌を唄います♪
ぜひお楽しみください。

 
●「いまも輝く昭和のスタンダード・ソングス」というタイトルですが、倍賞さんの選ぶスタンダード・ソングスを何曲かあげるとしたらどの曲でしょうか?
昭和の歌は好きですね、状況が自分の中に見えてきて、色んな思いを馳せられるし、どんなふうに人が生きていたのかな~って物語が見える後ろの背景が見える歌が好きですね。例えば「リンゴの唄」、「東京ブギウギ」、「胸の振り子」などですね。
庶民派女優と言われている倍賞千恵子さん。お話をうかがいながら実はもの凄くモダンで、物事に対して情熱的で、ポジティブで、カッコいい俳優さんだと思いました。1961年「斑女」中村登監督でデビューされて来年で芸能生活55周年になりますが、一度お会いしたら魅了されずにはいられない美しく真っすぐに生きるお手本のような倍賞さんは人間として女性としてあこがれのかたです。

 
インタビュアー:佐藤美枝子
カメラマン :Koji Ota
 
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