インタビュー Vol.25

綺羅星のごとくミュージカル界に現れた歌姫

新妻聖子

 

ご出身はどちらですか?

生まれは愛知県中島郡祖父江町というところです。合併して、今は稲沢市祖父江町となりました。父が北海道の出身、母が関西の出身で、両親の勤め先が稲沢市だったので、そこで私が生まれました。私が5年生のときに父の海外転勤に伴い、家族でタイのバンコクへ移り住みまして、17歳まで暮らしていました。 
 

結構長い間、住んでいらしたのですね。

7年弱住んでいました。
 

11歳から17歳までバンコクで過ごされて、バンコクではお友達も沢山できたでしょうし、帰国は寂しくありませんでしたか?

逆にタイへ行くとき、小学校のお友達と離れるのが寂しかったですね。全く知らない国に行く不安もありましたし。96年にタイ国際航空が、俳優のいしだ壱成さんを起用して「タイは若いうちに行け」というキャンペーンを行ってタイ旅行がメジャーになったんですが、私が移住した92年頃はまだまだ馴染みのない国で。私も「タイ」と言われてもどこだかわからなくて、地球の反対側に連れていかれるのではと怯えてました(笑)。でもバンコクに着いたら一日目から凄く楽しくて、あっという間に大好きになりました!
 

順応が早いですね!

タイは本当に素敵な国なんですよ。東南アジア諸国の中では唯一植民地になっていない国だからか、基本的に国民性が明るくてておおらかで。ゴハンもすごく美味しいし、バンコクは今では第二の故郷と思えるくらい大好きな街です。 
 

たまにタイに帰っていますか?

そうですね、数年に一度のペースで訪れています。
 

タイ公演もどうですか?

機会があれば是非!


 

話題がかわりますが、小さい頃はどんなお子さんだったのでしょうか?

人前で歌ったり発表したりすることが大好きな、活発な子供でしたね。小学生の時は毎年学級委員もやっていました。


 

大きくなったら何になりたいという夢はございましたか?

やっぱり子供の頃から歌が大好きで、漠然と歌手とかアイドルとか、テレビに出る人になりたいと思っていました。買ってもらったCDの歌詞カードを見て、ソファーの上をステージに見立てて一人で歌っていましたね。WINKさんとか工藤静香さんなどJ-POPを聴くと同時に、父の持っていたオペラアリア集のCDを聴いてコロラトゥーラ・ソプラノの声を真似してみたり、映画「サウンド・オブ・ミュージック」をレーザーディスクで繰り返し観たり、とにかく色んな「歌」に興味がありました。今思えば、ジュリー・アンドリュースさんの歌声が私にとってのミュージカルとの出会いでしたね。
 

小さい時にお母様に連れられてミュージカルを観ていたということではないのですね。

近くには劇場も無かったですし、ミュージカルや演劇というものに触れる機会は無かったです。小学2年生の時に家族旅行で訪れたイギリスで、一度だけ「スター・ライト・エクスプレス」というミュージカルを観たようなのですが、あまり覚えていなくて…。自分の初舞台が決まってから、日本で初めてミュージカルを観ました。 
 

初舞台っていつですか?

2003年の「レ・ミゼラブル」です。大学を卒業してからですので、22歳の夏。
 

最初に日本でご覧になったミュージカルというのは?

「レ・ミゼラブル」でデビューすることが決まって、東宝さんから「一度ミュージカルを観ておいてください」と言われ、帝国劇場で観させていただいた「モーツァルト」です。「半年後には自分がこの舞台に立つのか」と想像しながら観ましたが、全てが新しい世界すぎて右も左も分からず、なかなか実感が沸かなかったことを覚えています。


 

新妻さんは挫折がない感じがしますけど…。

いえいえ、未経験で飛び込んだ世界なので、初舞台を踏んでからたくさん苦労しましたよ。今も挫折を経験しながら、七転び八起きで進んでいます。


 

4月にジャズのビッグバンドで歌っていただきますが、新妻さんの歌声をお聴きになられたお客様がきっとミュージカルも観てみたいと思ってくださると思うのですよね。当協会の専務理事が「ミュージカル」誌の編集長をやっているのですけど、新妻さんのことを大絶賛!4月のビッグバンド・フェスティバルの出演が決まったのも一番喜んでいるのではないかと思います。

そうなんですか?嬉しいです。
 

ミュージカル女優、歌手、作詞や訳詩もなさっていらっしゃいますが、新妻さんにとって一番、比重を占めていらっしゃるのはどの部分でしょうか。

究極の目標は「新妻聖子」というジャンルを確立することですが、まずは「ミュージカル女優」としてしっかり結果を残さなければと思っています。
 

逆にどこにも(劇団に)所属されていないから、色がついてないという部分は凄く良いと思いますよね。ビックリするのは、ボイトレとかの先生がついていらっしゃらないとか…。それも凄いですよね。

ミュージカルでは作品ごとに歌唱指導の先生がいらっしゃるので、色んなタイミングでアドバイスをいただいてここまで来ましたが、定期的にボイトレに通ったりはしていなくて。歌の練習をする時は、お手本となる世界の優れたシンガー達の歌を聴きながら、自分の声を録音しては修正して…を地道に繰り返しています。
 

今後演じてみたい舞台や役はございますか?

具体的には思いつかないんですが…やはり逆境に立ち向かう強い女性の役に惹かれますね。
 

それはいいですね!(笑) 好きな俳優さん、または女優さんはいらっしゃいますか?

やはり私の原点は歌なので、俳優さんというよりは、歌手のセリーヌ・ディオンさんが私の永遠のミューズですね。ラスベガスのショーを観に行った時のパンフレットを、部屋の神棚みたいなところに飾っています(笑)。 


 

もし芸能界に入っていなかったらどのような道を選ばれていたのでしょうか?

どうでしょう…。法学部出身なので司法試験にトライしてたかなぁ。大学時代は政治にも興味があって、ひと夏、参議院議員会館で学生インターンみたいなこともしていたんですよ。でも、なんだかんだ歌以外の道は無かった気がします。
 

新妻さんが人生の最後に歌いたい歌はなんでしょう?

えーなんでしょうね(笑)。最後の瞬間はさすがに歌ってないと思いますけど...(笑)。
私が曲を選ぶ時の基準は、「何を歌いたいか」よりも「何を歌ったら喜んでもらえるか」なんですよね。なので、 その時に側に居てくれる人が「聴きたい」と思ってくれる歌になるのかな。とにかく、私が歌う事で誰かが喜んでくれるのが一番の幸せです!
 

新妻さんありがとうございました。生命力溢れる新妻さんから底知れぬパワーをもらいました! 清楚な美しさと品格は、海外で学んだ豊かな知識と、持って生まれた透明感溢れる伸びやかな声と天性の才能で、完璧なまでにオーディエンスをとりこにし、今後どんな高いハードルをも飛び越えて、間違いなく大輪の花を咲かせることと思います。ビッグバンド・フェスティバルでは和製グレン・ミラー楽団の異名をとる、今年結成70周年という快挙を成し遂げた、日本ビッグバンドのレジェンド、森 寿男とブルーコーツをバックにその美しい歌声で新妻旋風を巻き起こすこと間違いありません!!ぜひお聴き逃しなく!! 

 
 

インタビュアー:佐藤美枝子
カメラマン:Koji Ota
 
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